は対照的に、東南アジアでは、華僑が極めて強力な経済力を持ち、極めて重要な勢力を形作っているという点です。東南アジアにおける華僑の力は現実のものです。ジャワ島の小さな町で筆僑が経営する店が焼き打ちにあっても、インドネシアの怒れる若者にとっては、取るに足りない出来事として写るでしょう。攻撃しても、誰も犠牲にならないように見えます。しかし、インドネシアのエリートたちは、華僑を攻撃すれば必ず代償が伴うことを熟知しています。このような事件が頻発することで資本家の意欲が失われ、多大な損失を被っているのが、インドネシアの現状です。投資されるべき投資は行われなくなります。華僑というマイノリティーがいなくなれば、インドネシア経済は深刻な打撃を受けます。華僑に対するこのような一時的な暴力事件が、1930年代や1940年代に中央ヨーロッパで発生した組織的暴力と同様の形態には、決して拡大しない最大の理由がここにあると思います。
第三に、1930年代に登場したような急進主義的なイデオロギーが、現代には存在しません。マルクス主義やレーニン主義が復活すると考える人はいないでしょう。このような可能性はほとんど考えられません。ファシズムには様々な形がありますが、極めて幻覚的性格が強いため、多くの国々の独裁権威主義的な政治指導者が喜ぶような、ナショナリズムのイデオロギーと類似しています。ファシズムには、様々な魅力的な面があり、 ドイツの独裁権威主義的なファシズムが持っていた、知識人の支持基盤の強さが現在にもありますが、情勢は当時とは異なっています。急進主義、自己の利益になることを推し進め、他人の利益を削減するようなある種のメシア待望主義なりえる思想の中で、現在最も有力なものはサムエル・ハミングの言う「La revanche(神の復讐)」です。換言すれば、イスラム教の根源には、現在のような金融操作、経済の乱高下、大幅な貧富の格差、ユダヤ人や華僑などの少数民族による劣悪な経済操作といったものを根絶することができる、全く異質の世界秩序がある、とする過激な宗教プログラムの復活です。規模は大きくありませんが、こうした現象はすでに表面化しています。このような思想が発生する理由が理解できないわけではありませんが、エリート達はこうした道を歩むことがどれほどの代償を伴うものであるかをよく知っています。その代償は必ず、極めて致命的なものとなります。それがヒトラーの迎えた結果であり、 ドイツの示す事例です。
最後に、イデオロギーとしての急進的ナショナリズムという選択肢です。これは、私が最近特に注目しているテーマです。1980年代初頭のベン・アリソン、ギルモアなどの研究書以来、ナショナリズムの研究論文が隆盛を誇ったため、ナショナリズムの本質的な理解に役立つ様々な研究資料が蓄積されてきました。ナショナリズムが影響力を失い始めたこともあり、私たちはナショナリズムを超えてポスト・ナショナリズムの時代を展望できる出発点にいます。それゆえ、私たちはナショナリズムについて広範な知識を持っています。ご存じのように、極度に危険なナショナリズムと、血や体質、生物学的、人種的純粋性を基にした同類意識や、特定の集団の純粋性を根拠とする考え方と結びついた、積極的かつ建設的な種類の危険なナショナリズムとの間には、あまり違いは認められません。ナショナリストは、こうしたものを基盤として国家を建設します。東南アジアに目を向ければ、ナショナリズムが氾濫していますが、そのほとんどのナショナリズムは、この種のものではありません。彼らが目指すナショナリズムは、概して、多くの異なった民族を統合し、新しい人為的な共同体を構想しようとするもので、むしろ旧来の帝国主義に類似した反植民地主義的なナショナリズムです。また、これとは違った種類のナショナリズムの実例もあります。たとえば、マレーシアのマレーナショナリズム、カンボジアのカムナショナリズムなどが挙げられます。多数派民族の見分けがつかず、異なった民族にとっては生活しづらい環境という、危険を伴う東南アジア諸国のナショナリズムも、この種のナショナリズムです。
こうした事柄が、私たちにとっての懸案事項です。私個人としては楽観的でありたい。私は、ヨーロッパの歴史が東南アジアにおいても繰り返されるとは申しません。しかし、ヨーロッパの歴史を念頭に置いておくことが、歴史を繰り返さないための最も確実な方法ではないでしょうか。
●座長:青木
リードさんのおっしゃったことはこれからのアジアというものがいろいろな形で直面する大きな問題、特に政治と経済というものが危機に際しますと民族主義というものが起こってくる。それが非常に排他的な狂信的なものにならないようにはどうしたらよいかということを改めて問題提起して出されたと思います。確かにインドネシアの例あるいはカンボジアの例とか、危機的なところが見てとれることも事実ですけれども、やはリヨーロッパの20世紀の前半と特に違うところは、例えばASEANという動きがかなりきちんと出てきたということではないかと僕は思います。こうい