●川勝平太(早稲田大学政治経済学部教授)
白石さんは、タイムスケールを500年、150年、それから50年と、3つに分けられ、アジアが独自の運動のメカニズムを持っているかのごとく言われました。すなわち500年前の商業の時代はいわゆるリード氏の商業の時代、エイジ・オブ・コマースです。それから150年前に植民地の時代、第2の商業の時代を迎えた。そして現在、第3の商業の時代を迎えているということですが、これは自己運動ではなく、やはリヨーロッパと関係があると思います。500年前はリード氏も書いていますけれども、東南アジアは与える側です。
つまり商業を通して、東南アジアにいろいろ集まってくるものをヨーロッパあるいは日本に流していく。そういう意味では最初の商業の時代、500年前の東南アジアは極めて豊かな地域として世界史に登場しているわけです。
ところが第2の150年前の東南アジアは、もっぱら日本、ヨーロッパ、アメリカから力を押しつけられて、そのシステムの中に入り込まされて利用される。波が逆転しております。ここでもやはり他の力が絡まっている。このベクトルが逆転したのも、最初のベクトルが東南アジアからヨーロッパと日本に向かっていたのと関係している。逆転したのにはちゃんと理由があると思います。
それから、現在、通貨問題が出ていますけれども、これは脱アメリカ過程が進んでいると考えていいのではないか。すなわち東南アジア地域あるいはアジア地域における自己形成、山崎先生の言葉で言うと「アジアが自らアジアとしてアイデンティファイしようとしている」その中で出てきていると見ることができるのではないか。
言い換えますと、先ほどマハティールさんの話が出ましたけれども、もうアメリカのドルに振り回されるのはごめんであると、だからシンガポールのドルを使う。あるいは二国間貿易であれば、日本と東南アジアのそれぞれの国との場合には円の決済でいいということで、ドルからなるべく自立した経済圏をつくっていきたいと、その根拠はモハマドさんが言われましたように、アジア域内における地域内貿易の割合がここ10年の間に非常に高まってきていますから、アメリカのドルとリンクする必然性はないわけです。
そういう意味では自己形成の時代になってきている。しかもこれはアメリカや日本という他の力の関わりの中で出てきている3つのタイムスケールの自己運動というのはグローバルな中で起こっている運動であるというふうに言えませんか。
●白石
おっしゃるとおりです。もちろんもっと大きなシステム、グローバルなシステムの問題を考えないと、アジアはその中に埋め込まれていますから、その点ではおっしゃるとおりなんですが、同時に、アジアの中にはそれなりに歴史のリズムがあるということも事実だろうと思っています。
それはどういうリズムかといいますと、一つはやはりこれは川勝さんも言っておられることですけれども、海のアジアと陸のアジアのいわば違うリズムを持って、その絡み合いの中でアジアの歴史というのは理解できるのかなと、実は少なくとも過去500年の間に起こってきたことというのは、海のアジアをどういう勢力が支配するのか、それは単に商業というネットワークが張りめぐらされて、そこで財が生産され、交換されるということではなくて、そういう経済のシステムの中からどういう勢力が財を取っていくのかと、それでもって政治的な支配力にそれを転化していくのかという、そのプロセスを考えないと、恐らく我々は、私の言葉で言いますと、近代国際システムであるとか、あるいはアメリカのいわば帝国であるとか、アジアにおける帝国であるとか、そういうものの性格はわからないと思います。
●五百旗頭 真(神戸大学法学部教授)
アメリカがアチソンの時代につくったもの、それをアメリカは再活性化しようとしている。ではアジアはそれに何を付加するのか、あるいはそれとどう絡むのか、それに対する答として、3つのウェーブというのは非常に示唆に富むのではないかと感じます。50年の話というのはパックスアメリカーナ、アメリカによる平和の時代です。しかし白石さんの含みは、その下でチャイニーズネットワーク、経済活動を中心とする、地生のものが生き続けているのではないかの注目点です。川勝さんも恐らくそういうふうな歴史観に立っていらっしゃると思いますけれども、それとパックスアメリカーナという秩序と結びついて、たくましく生きる東アジアの地生的経済の力が示された時代です。150年というのはパックスブリタニカであって、イギリスのもたらした国際ネットワークのもとで、華人、華僑の活動というのがむしろ促進されて、それが大きな伝統でありパワーであるという新しい歴史観だと思うのです。
ところで、現在これからについてですが、パックスブリタニカやパックスアメリカーナがこの地域に秩序を設定したという面ももちろん続くだろう。例えば軍