はアルファベットという文字が使われ、法概念というものの基礎も同じでありますし、当然ながら宗教もいくつかのバリエーションは持ちましたが、基本的にキリスト教であります。もっと目ざましいことは、例えば美術史の世界は、ヨーロッパの国境を越えて同じ段階を踏んで変化してきました。ロマネスクの時代があった。やがてゴシックが芽生えた。そしてルネッサンスが来て、バロックの時代があるという、同じ変化の段階を、東ヨーロッパから南ヨーロッパまで、ほぼ同時期に踏んでいったわけであります。音楽の記譜法、ノーテーションですが、これも共通でありました。これに寄与したものは言うまでもなくカトリック教会でありました。
それに対して、私たちが東アジアと呼んでいる地域には、何ら普遍的、包括的な世界がなかった。確かに東アジアの中心に中国という巨大な国家がありまして、それがさまざまな文化的影響を周辺に与えたことは事実であります。しかし影響を与えるということと、包括的な世界があるということは別のことであります。中国は、あるいは中国文明は漢民族の文明でありまして、決してアジアの文明ではありませんでした。一番決定的な事実は、ローマ帝国は滅びたということです。ローマ帝国は滅びてローマ人はイタリア人になってしまいました。したがって、かつてのローマ帝国の遺産は、その後のヨーロッパの国々にとって実は等距離にあった。誰のものでもなかった。確かにイタリア人は少し威張って、ローマ文明は自分のものだと言うかもしれませんが、そんな話をまじめに受け取るフランス人やドイツ人はいません。ローマ文明はみんなのものです。しかし、中国文明は漢民族のものであって、日本人や韓国人やベトナム人のものではありません。漢民族の人たちは非常に愛国心が強く、近代になって革命を起こした時に「滅満興漢」、つまり満州族の清朝を滅ぼして漢民族を勃興させるのだと言いました。良かれ悪しかれ大変民族主義的な文明であります。
私たちは中国から例えば漢字というものを受け取りました。しかし日本人の漢字の使い方は中国人とは全く違いますし、お互いに発音しても通じません。韓国やベトナムでは漢字文明そのものから脱却が図られています。さらに宗教ということになると、この地域には儒教、仏教、さらにイスラム教、そしてキリスト教のほかに、それぞれの地域の民族的宗教が無数にあります。したがってアジア人を一つに包む宗教というものはありません。法律も共通でなければ、神話も共通ではありません。のみならずその後の歴史の中でも例えば中国の美術史の変化の刻み方と、日本の美術史の時代区分とは全く一致しません。アジアの音楽というのは、実は20世紀になって初めて融合を開始しています。私の尊敬する作曲家である三木稔という人が、アジアの楽器を集めてオーケストラをつくることを試みました。それができるようになったのは、それぞれのアジアの音楽家たちが西洋風のノーテーション、つまり“ドレミファソラシド”をみんな覚えたからであります。それを一つの通訳にして、アジアの音楽が今、融合し始めた。
もちろん、それぞれのアジアの民族文明というものはありました。そしてその中には実は古くから近代的要素というものがあったわけであります。中国の歴史学者で余時英という人がおりまして、「近世中国における宗教思想と商人倫理」という本を書いております。この本によれば、勤勉の思想あるいは商人に対する敬意というものは、9世紀頃の中国で起こってきた。新しい禅仏教、それから新しい儒教というものが芽生えてきた時に、商業利益を追求することは正しいことだという思想が生まれてきた、というのであります。マックス・ウェーバーによりますと、そういう思想が西洋で生まれてきたのははるか後のことであります。
また、日本の鈴木正三という思想家がいました。17世紀初等の学者ですが、この人が説いた倫理は信用、別の言葉で言えば正直ということであります。その正直という概念は、単に他人を裏切らないというだけのことではありません。自分自身を裏切らない。鈴木正三は当時の武士階級の忠誠心を批判しました。忠誠心というのは常にいくらか見返りを期待している倫理だというのです。主人に忠義を尽くせばご褒美がもらえるであろう、だから一段低い倫理です。正直というのは見返りを求めない、自分自身に対する誠実さだというのでありますが、こういう意味の誠実の概念は近代化にとって非常に大切であります。そしてそういう誠実の概念が西洋で生まれたのは、アメリカのライオネル・トリリングという学者によれば、やはり17世紀のことであります。ですから、個々の精神、思想、倫理というようなものは、西洋と東アジアで、同じ時期に近代化を目指しております。
また、大変おもしろいことでありますが、中国では錬金術というものが非常に盛んであります。ただ西洋の錬金術と少し違うところは、西洋の錬金術は