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21世紀のアジアと近代化−環大平洋共同体の一員として−

 

山崎正和(東亜大学大学院総合学術研究科教授、劇作家)

 

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アジアのいろいろな国からのお客様の前でお話をすることを、大変光栄に思っております。また、日本人の参加者のすべての皆さんに「ようこそおいでくださいました」と申し上げます。

大平洋の真ん中、ハワイのホノルルにあるイースト・ウエストセンターヘ行きますと、私たちは方向感覚の混乱を味わいます。そこでイーストというのは、アジアのことではありません。アメリカの西海岸のことであります。そこでウエストというのは東アジアのことであります。

イースト・ウエストセンターができたのは20世紀の半ば、1950年代でありますが、このことは大変象徴的であったと思っております。つまり人類の歴史は20世紀に及んで、古い東の文明、西の文明という対立概念から開放されつつあるということを示しています。

イギリスの詩人にキプリングという人がいて、東は東、西は西、両者が会うことは決してなかろうとうたったことがあります。その意味での東、西というものは、今、太平洋の周りで、つまり環太平洋コミュニティーの中でまさに崩れようとしております。そしてその崩壊の中から新しい21世紀の文明を生み出しつつあると、私は見ております。

東のアメリカ、西のアジア、そして少し驚くべきことですが、南のオーストラリア、ニュージーランド、これらの言葉はすべてかつての東西、南北という言葉の持っていた語感を壊してしまいました。それぞれの地域は、それぞれの文化伝統は持っていますけれども、共にこの100年間、つまり20世紀という時間の中で急速な交流を遂げた地域であります。そして同時に、大きな変化を同じ方向において味わいました。いずれの国にも工業を中心とする新しい産業が伸びてきました。その点はシンガポールもロサンゼルスも同じことであります。空にそびえる高層建築、自動車、ハイウェイ、人々の考えや感情をつないでいる電話、携帯電話、テレビというようなものが私たちの生活を大平洋を越えて同じようなものにしています。

それと同時に、もっと本質的なことでありますが、この100年間に太平洋をめぐるそれぞれの地域が法による統治、あるいは宗教と政治の分離、あるいは個人の生活の擁護というような新しい文明理念に向けて共同の歩みを進めております。

その結果、どの地域をとりましても、日本や韓国あるいはシンガポールという国をとっても、またアメリカの西海岸の地域、オーストラリアをとっても、現在の生活とその地域の100年前の違いは、かつての東西よりも大きいのであります。多分今の東京市民は、シンガポールやシドニーやロサンゼルスを訪問するよりも、昔の江戸を訪ねた時にもっと大きな驚きと違和感を感じるに違いないのです。

この環太平洋の共同体の住民が共通の体験をしました。そして、今、共通の生活様式を営んでいるわけですが、その共通の生活様式の名前を「近代性」と呼びます。

ところで、近代性というもの、そしてそれに向かって進む運動である近代化というのも、誰か特定の個人あるいは民族が生み出したイデオロギーではありません。近代化について、その原理を指し示すような原典というものはないのであります。近代化にはバイブルもなければカール・マルクスの「資本論」もありません。そしてまた近代化というのは、ある特定の地域がある時期に生み出したものでもないのです。それは人間が生物として生きていく上での一つの行動、あるいは本能が自然に発露してきたものであります。

生物としての人間には当然、生物として2つの本能があります。一つはご存じのように種族を維持していくという本能です。親から子へ生命をつないで、永遠に生きていこうとする生命の動きであります。もう一つは、その長い生命の中の鎖の輪である個人、生物学的に言えば個体でありますが、その個体を維持しようとする本能にほかなりません。もちろん両者は密接に結びついていまして、個体維持は種族維持を助け、種族維持の中で個体維持があるわけです。しかし両者は違った方向を指しています。

そして、人類の歴史の中である時に、人間が他の生物以上に個体を大切にする、個体維持に重点を置いた時から、実は近代化が始まっていたのであります。

 

 

 

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