記憶に残るという点では,1980年代中盤に,100mと200mで世界記録を更新し,1984年のロサンゼルスオリンピックで水泳大国アメリカに1人敢然と立ちはだかったM.グロス選手(西ドイツ)(図5)も上げられるであろう。同オリンピックでは,200mバタフライは惜しくもレース終盤で失速し,J.シーベン選手(オーストラリア)に敗れたものの,100mでは世界記録で優勝,計2個の金メダルと,2個の銀メダルを獲得している。身長2mを越える大男が,長い腕を振り回してリカバリーする様から,“アルバトロス(アホウドリ)”という異名がついた。また,グロス選手は,スピッツ選手と同様, 自由形でも好成績を残しており,200m,400m自由形において世界記録を樹立している。
また,グロス選手と同時代に名勝負を繰り広げたP.モラレス選手(図6)もどん底の苦しみと,最高の歓びを味わった,印象に残る選手である。地元開催であったロサンゼルスオリンピックでは世界記録保持者をとして臨みながら,グロス選手の大きな壁に優勝を阻止された。次期ソウルオリンピックでは,当時世界記録保持者で優勝候補の呼び声も高かったが,思わぬ国内予選会での敗戦によって選考すらされなかった。これを機に,モラレス選手は一時期引退を表明したが,この辛さを晴らすべく,数年後また選手として復帰し,1992年のバルセロナオリンピックにおいては100mで見事に優勝を遂げた。天高く拳を突き上げた歓喜のガッツポーズを覚えている方も多いのではなかろうか。ちなみに,1986年にモラレス選手が作った世界記録は,1995年にロシアのD.パンクラートフ選手に破られるまで実に9年間も保持されていたレベルの高い記録だったのである。
女子において,わが国で忘れられない存在といえば,やはりミュンヘンオリンピックで世界記録とともに金メダルを獲得した青木まゆみ選手(図7)であろう。前半7位で折り返したものの,徐々に追い上げ,最後の5mで抜け出して勝ったレースは,多くの人の記憶に残っていることと思う。実に,1位から8位までが0.9秒内に入るという混戦を制しての勝利だった。
青木選手の記録を破ったのは,K.エンダー選手(東ドイツ)(図8)である。エンダー選手は,1973年から76年にかけて100mバタフライで5回もの世界記録を樹立しただけでなく,モントリオールオリンピックでは100mバタフライ,100m,200m自由形,400mメドレーリレーの4個の金メダルを獲得し,“水の女王”の異名をとった。また,エンダー選手と同時期にしのぎを削った選手の1人に,同じ東ドイツのR.コーター選手があげられ,100mで3回,200mで5回の世界記録を樹立している。特にこの200mでは,1973年から1976年の間に4秒も記録を短縮しているが,大きな試合での勝ちがなく,一方ではエンダー選手の活躍が華々しかったため,その陰に隠れたことを否めない。
女子のバタフライ泳者で最大のスーパースターといえば,やはりM.マーハー選手(アメリカ)(図9)であろう。マーハー選手は,1979年から1981年にかけて,それまでの世界記録を100mで2.5秒,200mに至っては約4秒も一気に短縮している。1984年,自国開催であったロサンゼルスオリンピックでも,100m,200m両種目ともに圧倒的な強さで優勝している。マーハー選手が1981年に樹立した記録は,16年経過した1997年12月現在も最古の世界記録として今なお残っている。100mはともかく,200mの記録は,おそらく今世紀中には破られないであろう。
4-e.現在までの記録の伸び
1953年にバタフライが独立して以来,今日まで幾度となく記録が更新されてきた。現在の世界記録は,男子の100mがM.クリム選手(オーストラリア)で52秒15,200mはD.パンクラートフ選手(ロシア)で1分55秒22,女子では,M.マーハー選手(アメリカ)が100m,200mともに57秒93,2分05秒96という記録を樹立している。