国際保健を通じて公衆衛生学のダイナミクスを感じた春
菅野 渉平(獨協医科大学臨床医学科4年)
医療には限界があるか。この問題は、いつの時代にも多くの学者から論じられてきたことであるが、ここ近年、現実味を帯びた問題となっている。近年では、臓器移植法案の成立やクローン羊の成功などと倫理的に医学と絡む事柄が討論され、また、その討論が机上の空論のごとく、解決・対処された感じを世間に知らしめているのも日本の現状であろう。これらは、医療技術・研究の進歩が社会のなかの高度な倫理性といわれる人間特有の制約をうけて論議されているものにすぎない。公衆衛生学とは、医学の一分野のなかでも、社会医学とよばれ、流行性疾病や社会問題化した疾病の予防を教育・法・医学を包含して、ダイナミックに考察し、フィールドワークを実施する使命を持っている。その学問の特性上、社会との関連は切っても切り放せない。従って、手段として用いる社会と活動の制約となる社会が混在してこの学問領域に入り込み、日本全国や世界各国で問題となっている健康問題を解決するにあたって、その中でどのようにプロセスをたてていくかということが今後に大きく影響する。そんなこんなで、小生は、この研修に参加したわけであるが、その目的は、この社会医学としての公衆衛生学が国際保健という立場で、社会との複雑な絡みのなかでどのような手法で、どのようなプロセスをふんで保健医療活動をしているのかということを学び、その過程から日本の慢性疾患による健康問題・産業・環境保健上の問題に対処するヒントを考察したいということであった。それは、生活習慣・高度な倫理観など活動が制約される様々な社会的因子の間をぬいくぐった活動・プロトコールを、自分でプランニングすることが、第1次予防を目標とした医療を行うには必須であろうと考えられるからである。また、フィリピンの貧民層の疾病構造においては、戦後間もなくの日本の状況に類似しており、戦後の日本の公衆衛生活動の軌跡を肌で感じることができるのではないかと考え、そこから、日本の現在の問題を考察したいという思いが小生のなかでうごめき押さえることができなかったのも事実である。
実際参加してみて、驚くことはたくさんあった。まず、一番大きかったことは、学生レジデントが主のプライマリーヘルスケア目的の病院が存在すると言うことであった。そこでは、小児感染症などの衛生教育プログラムを学生自身が主体的に実行し、第1次予防におおきく貢献しているとのことであった。小生は、それに強い感動を感じながら、同じ学生としての意識の違いに思わず情けなくなってしまった次第である。大きな違いは、彼らの強い熱意と慈悲の気持ち、そして、そこからくる強い行動力であろう。また、病院とは少し離れた場所に女性の悩みを受け持つ部署やリハビリテーション施設も有していた。そのひとつひとつに、小さな気配りが充満した感覚をうけた。これらの施設に共通していえることは、患者をみていると言うよりも、個人ひとりひとりの人間として、社会の一員として受け入れるという姿であった。
また、医療現状では、日本のように医療圏ごとに区切られた活動によるいわゆる地域医療と保健行政活動の基本となる行政単位ごとの保健所などで、保健活動を励行・管理する立場が互いに分担され、保健・医療の活動を実施すると言うよりは、医師・看護婦の雇用条件、治安などの問題から発達していないため、医療圏ごとの地域医療を拡充・力点をおくことに