この日の圧巻はなんといっても、ハンセン病資料館見学である。大学の講義で、ハンセン病はどうしても軽視されがちである。まして、ハンセン病をとりまく差別など、気にもかけたことはない。この日の見学は、ショックであったと同時に、差別を知らないこと、無知の罪深さについて考えさせられた。
ハンセン病は、感染力が強いのではないかと考えられ、戦前は村八分にされる者も多かった。この資料館では、そんな当時の様子を垣間みることができ、自らの無知を思い知らされた。
ハンセン病資料館でもらった設立趣旨には、次のように書かれている。「ハンセン病に限らず、治療に向けて励む慢性病患者に対し、社会の誤解と偏見を二度と繰り返すことのないよう正しい理解を広めるとともに、なお多くの患者を抱え苦労している開発途上国の救らい事業等に対しても、皆さんの理解と一層の寄与を期待して止みません」。
次に、結核研究所では、開発途上国における結核対策についての講義を受けた。今でこそ、日本での結核はさほど大きな社会問題ではないが、開発途上国では深刻である。さらに、HIVなどの流行で、免疫力の低下した患者における結核は大変重要な問題である。
反省会の後、希望者が研修室にて、映画「砂の器」を観賞。これはハンセン病資料館から借りてきたビデオである。ハンセン病患者の父が幼い子とともに村を追い出され、流浪の旅にでる様子が生々しく描かれていて、ハンセン病患者に対する差別の実態を知る一助となった。
(李 権三)
この日の全日程を終えた後、宿舎にて反省会を行い、その中で国内研修のみの参加者の方から、フィリピンでは次のようなことについてぜひ見てきてほしいと要望があった。
フィリピンにおけるハンセン病、結核について
・対策が遅かったか早かったか
・法的差別について
・容姿が変わることについて。社会的、宗教的背景の違いから
・正しい知識を持って治りたいと患者は思っているかどうか
・一般の人の意識と患者の意識の違い
・どのように疾病についての知識がアドバタイズされているか
・保健医療体制について
・WHOとJICAの関連性
WHOについて
・マネージメントプランニングについて
・現地の食べ物に寄生虫がいるかどうか
・行政としての指令にはどんなものがあるか
・職員の給料が高いのでは
・プロジェクトの失敗について