て文句ばっかり言ってきたんですが、何の因果か、去年、正月に今度は文句を言われるほうになりまして、環境庁長官という仕事を務めさせていただいたわけであります。考えてみれば、ライフワークになったなと、あるいはそれにすることが大事だなということでありまして、今はNGOみたいなもので、いろんな団体に応援団のような形でかかわらせていただいております。
ナショナル・トラスト協会は発足の当時から、原さんとご一緒で、木原さんにハッパかけられながらかかわってきたということだけでありますけれども、長い長い歴史をそれなりに持っています。
そんなことを振り返ってみて、一昨年、環境庁長官などという仕事を仰せつかって、去年、辞めまして、1年間、NGOでいたんですが、かなり腹が立つことが2回ありました。たくさんあるんだけれども、特に大きなこととして、特徴的に言いますと、一つは、諌早の干拓の時に、環境庁はそれなりに一生懸命やろうとしたことは分かるんですが、あの時に実はアセスがありまして、そのアセスの中に、水質が極端に悪くなった時はフラッシング、つまり水門を上げたり下げたりする必要があるということを環境庁が指摘をしているんです。農水省とのやり取りの中で。だから、水門を上げたり下げたりするということは最初からの約束事なんであります。だから、閉め切れば水質は悪くなるに決まってます。悪くなった時に水門は上げるということは水質を守っていく上で大事なことだという、そういう指摘をしているわけであります。環境庁自身が。ところが、自分の決めた、そしてそういうことに合意をした農水省との関係の中で、いっぺんもそのへんについて指摘がなかったことについて、私は少し文句を言ってきました。
私の後輩に当たる人ですからそんなことを言ってはいけませんが、今の大木さんの前の長官石井さんは、それでも一生懸命で何とかしようと思ったと思います。だから、現場を見たいと。あるいはその計画を立てるようにということを役所に、事務当局に指示をしてきたと思います。ところが、自民党の中で、特に農水部会、あるいは地元の皆さんが、こんな時に行くことはぜひやめてほしい、混乱をさせるばっかりだということでストップをかけたんですね。本当はあの時、私は、環境庁長官が現場を見て、そして日本中で、ムツゴロウの問題もさることながら、改めて干拓という問題について国民が心配をしている、公共事業のあり方を含めて問い直してみようという雰囲気が盛り上がっていた時なんですから、まさに頂門の一針で一定の見解を述べていただければ、もうちょっと状況としては変わっていたのではないだろうかなと思うんです。
だから、私はお辞めになった石井さんを責めているわけではない。環境庁の諸君も一生懸命であったという意味では、それを非難するつもりはありません。彼らは彼らなりに頑張ってくれたと思う。しかし、それに対して、環境などということをおよそ考えない人たちが乱暴に現場を視察することも、物事を混乱させるからやめてほしいと言って止めた。その農水省に対して環境庁が、あるいは環境庁長官が対抗することができなかったということを考えた時に、環境庁って弱い役所だな、こんなことじゃ日本の環境を守ることは難しいなということをちょっと感じました。
その時に、今だから申しますけれども、構造改善局の局長や次長に、私、辞めた後ですけれども、来ていただいた。そして何とかやめるようにできないか、せめてフラッ