池の中の小島に埋葬されてるとか、その墓参のために券を出すとか、ともかくそういう階級制度と、土地をいっぱい持ってる人がまだいっぱいいるんですね。そういうところで土地・建物を持ちきれなくなった貴族の人たちがナショナル・トラストに寄付して、守っていくということもあると思います。寄付して、それをまたトラストとしても大事にしていく、あるいは寄付された方にはそのまま住んでもらってというのが随分あるようですので、こうした事情で成立してる部分が随分あると思います。
それともう一つ、土地の制度と関係しますけれども、日本の場合ですと、例えば都市の中は都市計画法で許可制度があるとか、国立公園になってると自然公園法で許可制度がある、あるいは森林地域は森林法とかになってますけれども、イギリスの場合はタウン・アンド・カントリー・プランニング・アクト(都市及び地方計画法)という法律が全国をカバーしておりまして、その許可そのものは、ほとんど日本で言う地方分権になってるわけです。私も幾つか前に訪ねたことがありますけれども、例えば村に1軒、だれかが家を新築するというと、周りの町並みとの調和について、例えば周辺が赤いレンガで、白壁で、屋根は黒いスレートふきだと、それがだいたいのトーンだと、まずそういうものにしないと、それぞれの村や町のプランニング・ボードという許可委員会、住民の方も入った委員会があって、そこの許可がなかなかおりないのです。そういうところは、最後のポイントに「アメニティーとコンサーバチブ」と書いてありますが、まさに今までの伝統を守るということと、アメニティーということにシビアーなのです。保守的という日本の言葉はなんか当てはまらないんで、コンサーバチブと書いてありますけれども、非常にそういう意識が強いのです。
こういうことがいろいろ重なり、かつ「ボランティア精神」と書きましたが、やはりこのあたりは国民の宗教との関係も間違いなくあるんじゃないかなと私は思っております。
外国でいろいろ会議に出て、「お前の宗教は何だ」と聞かれるのが、実は私を含めて日本人は一番苦手でありまして、明確に何かの宗教活動をお持ちの方はいいですが、私も母方は神社ですけれども、やっぱりおやじの葬式は仏教でやってたり、そういうのがむちゃくちゃであります。日本でも、宗教団体としていろんなボランティア活動をされていることは認識しておりますが、ヨーロッパなんかの人々の遺伝子にはボランティア精神というものが入っていて、ナショナル・トラストを含むいろんな活動に反映されているのではないかと思うのです。これは並大抵のものではない事実であります。
日本のナショナル・トラストの、今、メンバーになってらっしゃる団体、そうは多くないですけれども、イギリスには、ナショナル・トラストとかシビック・トラストとか大きな団体のみならず、どこそこの池を守るトラストとか、どこそこの池のカエルを守るトラストとか、雑木林のシジュウカラを守るトラストとか、そういうのが何千とあります。多くの人々が活動を楽しんでおられるという精神的風土、あるいはイギリスの、例えばロンドンに働いてる人でも、早くリタイアしてカントリーで生活をしたいというような精神構造というか、そういうのがすべてがこういうナショナル・トラストの活動に凝縮されてるんだと思います。