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1947 カスリン台風(利根川、北上川)

1949 治水調査会による10大河川改修計画

1950 ジェーン台風(大阪湾)

1951 河川総合開発事業開始

1952 電源開発二法制定

1953 梅雨前線豪雨(北九州など)

1958 狩野川台風(東京、横浜に都市水害)

1959 伊勢湾台風(全国的水害)

1960 治山治水緊急措置法制定

1961 水資源二法制定

 

このころ、ダムの技術が進歩しまして、河水統制事業というのが、今の言葉で言うと総合開発が始まった。戦争が終わりました。戦争が終わった年から日本は大水害シーズンになります。枕崎台風が3000人の死者を出してます。鹿児島県の枕崎に上陸し、この年の食糧生産に大打撃を与える。戦争が終わった年です。そうでなくても食糧危機だった時にこれが拍車をかけたということになります。

そして47年、去年、満50年のカスリン台風、これは利根川の堤防が切れました。それから50年には大阪湾に未曾有の大高潮のジェーン台風。ようやく戦後の復興がなって、1952年の電源開発二法。ここで言う電源開発は水力開発です。工業化するためにはエネルギーがいる。水害は引きもやらずで、53年には北九州に梅雨前線豪雨が暴れ、58年には伊豆の狩野川に大きな台風がやってきまして約1000人の死者を出してます。この狩野川台風は、いったん相模灘に出て、江ノ島あたりから上陸し、東京、横浜の北を通っていったんです。これで東京、横浜が大水害に遭う。その大水害に遭ったところが、このころ、人口が非常に増えてる東京、横浜の新興住宅地を襲ったんです。これが私は都市水害の走りだと理解しているんです。これから全国的に都市水害が蔓延します。ファッションだけではなくて、まず東京に起きまして、それから全国に波及します。58年に始まった都市水害は、それから10年、15年たって、札幌から鹿児島まで津々浦々の人口が増えていく都市を襲うようになりました。人口が増えていく時に、新しい住宅を建てます。そこが水害に会うわけです。

狩野川台風で神田川の上流が氾濫しました。石神井川の周辺も随分被災したんです。水につかりますと地価が下がるんです。そうするとまた集中的に家が建って次の水害を用意するわけです。

翌年、伊勢湾台風。このころが悪夢の15年間で、毎年のように大水害があって、河川事業で治水を懸命に行わねばいかんと思ったのは当然です。都市化してきましたので、都市の水需要が猛烈に増えた。そこで61年に、水資源開発公団をつくることになって、水資源開発が国の非常に重要な方針になって、このころからダムブーム。ダムをつくって水を蓄えないと、大都市に集まってきた人口の水を手当てできないということになりました。

 

 

 

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