1964 新河川法制定 東京濁水 東京オリンピック
1972 梅雨前線豪雨(全国的) このころから水害訴訟多し
1974 多摩川破堤
1975 石狩川破堤
1976 台風17号(長良川など破堤)
1977 総合治水対策(河川審答申)
1987 超過洪水対策(河川審答申)
1991 多自然型河川工法
1995 河川環境のあり方(河川審答申)、長良川河口堰
そして64年、そういう水資源開発が大事な時に、従来の治水一点張りの河川法では不十分になったということで、利水にもウェートを置いて、治水と2本位になりました。しかも、このころはダムが重要ですから、水系一貫、つまりダムをつくる山のほうから河口まで一貫して計画を立てなくてはならなくなりました。そういう観点で新河川法、その時の時代の要請で新しい河川法ができた年に東京大渇水。これが東京オリンピックの年で、東京オリンピックは10月10日に始まりましたが、7月、8月、特に8月の上旬から20日ごろにかけて東京は大変な渇水になりました。
その時にまじめに議論したんです。オリンピックのプールの水をどうしようか。東京は水不足だから、今回のオリンピックは水泳は中止というわけにはいかない。どこから水を持ってくるか、まじめに議論したんです。ところが、それは結果としてそういう議論はいらなかった。8月20日以後、順調に雨が降ってくれましたので解決いたしました。
74年に多摩川の堤防が狛江で切れました。75年、石狩川の堤防が切れ、76年に長良川の堤防が切れた。これは日本にとっても特に大事な川です。多摩川、石狩川、長良川、この二つの重要な川が3年続けて切れたというのは河川行政にとって重大事件で、しかも、76年の台風17号の時は、長良川が切れただけではなくて、関西から東海にかけて都市水害が一斉に出たんです。都市水害に対しては堤防だけではどうにもならん。流域の無秩序な開発をどうにかしなければいかんというので、翌年、総合治水、つまり流域全体で対応しよう。このへんから少しずつ河川行政が変わりかけたんです。
それから超過洪水対策。つまり今までは200年に1回の洪水に耐えればいい。それ以上はもうしょうがない。ノアの洪水だ。しかし、そういう時こそ大水害になるんだから、その時も何か手を打つというのが超過洪水対策。それの一環として隅田川のスーパー堤防ができたわけです。このころから環境問題が重要視され、多自然型河川工法。これは評価がまちまちですけれども、まだ慣れていないせいもあって、決して満点とは言えないと思いますが、方向としてはいいと思います。つまりコンクリートをなるべくやめて、要するに土とか石とか植生とかで河川の護岸を整備しょうということであり、その延長線上に、先ほど申し上げました「河川環境のあり方」という答申が出て、ここで更に河川行政が大きく曲がるきっかけになったと私は理解し、そしてそのころから、多自然型工法のころからでしょうか、