そして都市における水の空間が減りました。これはいろんな影響を及ぼして、つまり水のある空間というのは無駄だと思われていた。家を建てたりビルを建てたほうが経済効率がいいというので、東京も随分埋め立てられました。最近の学生諸君に数寄屋橋とか三原橋と言っても、なんで橋という名前があるんだといいます。あそこに昔、堀があったことをもうみんな知らないんです、多くの人は。そのほうが経済効率がいいんです。そこに家を建てたリビルを建てたほうがずっともうかりますから。お堀というのは何にももうからない。都市に限らず、日本中そういうことをやってきたわけです。
湿地は、何にも生産しないし、何の役にも立たないと考えた。無駄に水がただ在るだけだと。埋めて開発をしたほうが経済効率がいいだろうということで、湿地も次々埋め立てられました。
明治のはじめ、北海道は湿地だらけだった。石狩平野でもどこでも。そして札幌などの大都市の近所から次々湿地をつぶしていって、最後に残ったのが、辺鄙な釧路湿原ということになりますが、今、釧路湿原は非常に高い評価を得ていますが、いわば百数十年前の北海道は釧路湿原だらけだったわけです。残ったから希少価値が出てきた。
そして川の流域の中の湿地は自然の水循環にとって、生態系にとってはもとよりのことですけれども、流域の中の水循環を確保するのに、非常に貴重な土地なんです。つまり従来、我々は水の循環という観点からものを見なかった。これからは開発をしたり、河川事業をする時にも、それによって水の循環をなるべく乱さないように、元来あった水循環をできるだけ保つようにしなければならない。
と言っても、完全に昔どおりにはできません。昔どおりですと、毎年のように大洪水です。明治の半ばごろまでは日本の沖積平野は数年、あるいは10年に1回に大氾濫を起こしていたんです。だから、一生懸命治水事業を行ったわけです。ですから、開発とかいろいろな公共投資によって、ある程度水循環を変えることはやむをえない。しかし、それを意識するかしないかが大事です。従来、そういうことはあまり考えなかったんです。これからも必要最小限の開発事業は必要です。ただ、そういう場合に、こういう開発をすると、今保たれてる水循環ほどのように変わるかということに注意を払わなくてはいかんということです。
つまり3年前の河川環境のあり方の答申では、第1の柱が生物の生息空間。第2の柱が健全な水循環の保持。第3の柱が地域と河川との関係の再構築。川と川べりに住んでいる人たちといい関係をつくろうと。再構築というのは再び構築しようですから、明治のころまでは住民と川とはもっと親しい関係にあったということです。それがこの近代化の間に、あるいは戦後の高度成長の間に一般の人たちが川離れ現象を起こしたんです。そして行政も、別に川離れを起こさせようと思って河川事業や開発を行ったわけじゃないんですが、結果として川離れを起こしてしまった。それは治水一辺倒の河川事業をやってきたからということもあります。そのほか、鉄道の発達する前は川というのは交通路として非常に大事だったわけです。ですから、江戸時代の優れた河川技術者は、概ね舟を通すことに非常に努力をしてるわけです。鉄道がなかった明治のなかばまでは、川は国内交通で大変大手だったわけです。明治からの鉄道の発達に逆比例して、交通路としての川の使命がなくなってまいりました。それも川離れ現象の一つの大きな原因で