「河川流域の環境を守る市民活動」
高橋裕 東京大学名誉教授 芝浦工業大学教授
司会 環境審議会では地盤沈下部会の部会長さんでいらっしゃいます。「河川流域の環境を守る市民運動」ということでお話をいただきます。
では、高橋先生、よろしくお願いいたします。(拍手)
高橋 ただいまご紹介いただきましたように、昨年、河川法が改正になりました。その間のいきさつは、簡単に経過だけ書いてございますが、法律を改正するには、かなり準備期間がいるわけで、建設省の河川局も河川法改正を決意して、それに至るまでは数年間かかっております。
3年前になりますが、河川審議会から「今後の河川環境のあり方」について大臣答申を行っております。そこで今後の河川環境のあり方について三つの柱を打ち出しました。一つは、河川というのは生物の生息、生育環境である。つまり、川というのは生物がいてこそ川だ。建設省の河川審議会の答申ですから、今後、河川工事を行う時には生物が住めるようにしなくてはいかんということになります。
二つ目の柱は、健全な水循環を確保しよう。抽象的で分かりにくいかもしれませんが、自然界に水は循環しておる。その自然界で循環しているそのメカニズムを重んじようということです。つまり我々は、従来、大げさに言えば、この近代化の100年、あるいは第2次大戦以後の高度成長期を通して水の循環をおおいに乱してきた。いろいろな開発をしたことが自然の水循環を乱してしまったんです。従来はそれを十分自覚しなかったんです。高度成長期には都市へ人口が集まってきました。都市化現象です。都市化に成功したからこそ、日本の高度成長はなし遂げられたし、我々の生活水準も大いに上がったわけです。第1次産業から第2次、第3次産業。第2次、第3次産業というのは都会ですから、農山漁村から都会へ人が集まって、非常に経済効率のいい社会になったことが高度経済成長をもたらし、あるいは非常に豊かな社会をつくった。ですから、都市化自体は非常に重要だったんですが、都市化によって都市の水循環はすっかり変わってしまったんです。
都市化に限りません。明治以来のこの百数十年間、あるいは戦後の50年間、我々は戦後復興から経済成長、その間に、そういう開発をすると水の循環が変わるということを十分自覚しなかった。したがって、結果としては水の循環がすっかり変わってしまった。具体的に言いますと、都市水害が激化した。都市化によって、従来は降った雨があちらこちらで遊んでてくれたわけです。あるいは地表に土がたくさんありましたから、そこから地面に雨水は浸透していた。それが都市化されますと、降った雨は舗装道路を走る。だいたい日本の場合は水田が都市化されますので、一層二重の意味で具合が悪いわけです。
水田というのは自然の遊水池なんです。そこに降った雨をしばらく蓄えているわけです。そして、当然水田の底は土ですから、そこから地下へ浸透していきますね、降った雨は。その水田が都市化され、そして下水道が整備されます。そうしますと降った雨は一目散に道路の側溝から下水道へ、そして川や海へ突進するわけです。1950年代の終わりから60年代、70年代、人口が非常に集まった都会で都市水害が激烈に起こった。これは水循環が変わったからです。