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それが今までは、先ほど言いましたように、中央集権的に無駄のないやり方でやるほうがいいということで、合理的妥当性があったと思うのですが、先進国の仲間入りをするぐらいのところまでなってきますと、自分たちのことについては自分たちで決めたい。もうそんなにいろんな方の世話になる必要はない。こんな気持ちというのが国民の間に非常に高まってまいります。意識が高まってまいります。それと同時に、さっき申し上げましたように、住宅でも学校でも全国どこへ行っても同じようなものが建っている。それは確かに安上がりかもしれませんけれども、そういうことでは満足できない。自分たちの県では、あるいは自分たちの町ではこういう歴史がある、こういう歴史にふさわしいものとして自分たち自身が設計をして、少々お金がかかってもそういうものを自分たちの誇りとしてつくりたい。こういう考え方が出てくるわけであります。
むしろそうなりますと、先ほど申し上げましたように、我が国も先進国として国際的にいろんなことをやらなければいけないような状況になっていますから、中央政府はそういった国家の存立にかかわるような差本的なことをやればいいではないか。もう地方のことは地方に任せたらどうかということに結論的になってくるわけでして、この中央集権のシステムは、地方分権という方向へシステムとして転換をしていかざるをえない状態になっているのではないかと、私はこのように思うのであります。
明治以来130年を経まして今日まで来て、いよいよ先進国の仲間入りをし、我が国も成長の段階から成熟の段階に入ってくる。そういうことになりますと、今まで有効であった官主導、集権構造というものが、民自律、分権型の構造ということに変わっていかざるをえないのではないかと思うのであります。
よく言われますように、日本は今、急速に高齢化が進んでいるわけですが、今までは若い国でありました。そしてずっと成長をしていく時代であったのです。明治初期の、後で資料も若干ご説明しますが、我が国の人口は4000万人ぐらいだったと推計されていますが、今、1億2500万ですから、3倍強に増えてきているわけです。そして長生きもできるようになった。そして経済も成長する。こういう時期であるわけですが、この成長期は毎年毎年所得が増えるわけです。国全体として国富が増えます。今までの基本的な原理は、毎年大きくなる国富をどのように分配していくのか、それぞれの国民にどのように分配していくのかという考え方が主たる関心事になります。こういう場合には、国民にそういった大きくなったパイを分配するには、全国一律に公平にやるという仕組みというのがみんな納得いくだろうと思うんです。ところが、今からはもう人口はあまり増えない。経済も成長しない。しかしながら、福祉ですとか、環境問題ですとか、いろんなことについて、私たち国民一人ひとりが、あるいは国家全体として大きな責任を持っていかなければいけない。この責任が大きくなっていく。この大きくなる責任を国民全体みんなでどうやって分担し合うかが、今後のシステムをつくる原理になっていくわけであります。その時には、お上がつくったやり方で、「あんた方はこういう負担をしてくれ」というようなことをやっては、なかなか国民が納得できない。自分が責任を持つということについては、やっぱり自分たちで考えて、これはなるほど必要だと、そのことについて自分が納得した時に、初めてそういった負担について耐えうるようになっ