きな改革と言えば、近いところでは明治維新は日本が封建的な鎖国状態から外国に門戸を開きまして近代化を始めたという意味で、近代化の第1の改革の時期だと言われています。そして戦後改革は、第2次世界大戦が終わりました時に、従来、天皇主権という日本のスキームを民主化するという第2の改革の時期であったわけですが、それに次ぐ第3の改革の時期を、今、迎えているということが言われるわけであります。
それでは、この第3の改革がどういう意味をもつのかということを私なりに考えますと、明治以来、近代化を目指してきた我が国が、先進国の仲間入りをしたことに伴いまして、従来の発展途上型の我が国のシステムが、いわゆる成熟型の国家システムに転換をする。そういった意味でいろんな仕組みを根本的に変えていかなければいけない。それが第3の改革の基本的なテーマなのではないかと思っております。
それではその時期はいつ頃からかということになると、いろんな議論はあるかもしれませんが、少なくとも今からもう十二年前になりますが、1985年、日本がG5という経済の先進国の仲間入りをしまして、大きな国際経済の変化がありました。それまで日本の円はかなり安かったのでありますが、あの1985年に一挙に円高という状況になりまして、大きな経済構造の変化が起こらざるをえなかったわけですが、そのころあたりが我が国が先進国へ入っていった時期なのだろうと思われます。
第1の改革の時期には、あの鎖国状態であった我が国を開放して近代化をする、欧米先進国へのキャッチアップをするということを目指していろんな改革を行った。しかしながら、その時には天皇主権という形の中で、極めて中央集権的なシステムで国家スキームをつくってきたわけですが、それがその後、軍国主義というような状況になって失敗をし、戦後、新しい日本国憲法をつくる。こういうことの中で平和憲法をつくり、主権在民という民主化のスキームをつくってきたわけでありますが、それが今、目的が達成をされたと申しましょうか、近代的な欧米先進国にキャッチアップするという意味では目標が達成したという時期に到着しています。今までのシステムが今後はどうもうまくいかないという状況に立ち至って改革がなされざるをえないという状況になっているのだろうと思います。
そうだとすれば、明治維新以来、我が国がつくってきましたスキームで、今、改革をしなければいけないということにはどういうことがあるのかということでありますが、その一つは、官僚主導のシステムではないかと思います。
ご案内のとおり、明治維新の時に我が国は政府はまず何をやったか。当然のことながらお手本となる西洋諸国の制度ですとか、あるいは知識だとか運営の仕方だとか、そういうことを勉強することから始めたわけであります。
ちょうど今から130年ぐらい前(1871年11月〜1873年9月)岩倉具視を団長とする欧米使節団をつくりまして、アメリカ、ヨーロッパ諸国を2年間ぐらいかけて勉強してきております。この使節団のメンバーには伊藤博文ですとか大久保利通ですとか、いわゆる後に明治の元勲となられるような指導者が入っておりまして、こういう方々が欧米諸国のいろんなシステムを勉強して、以後の日本の体制、憲法をつくり、いろんな社会システムをつくっていった。そういうことの中で経済発展をし、軍事力を増強するというシステムで来たわけであります。