ことを言って、相当部分直させられたんですけれども、師範学校は授業料ただであったわけでございますけれども、したがって、農家の長男は田んぼ、畑を継ぐ。次男、三男で成績のいい、頭の構造のいい人は師範学校に行く、あるいは陸軍士官学校、兵学校に行くというような進学過程ができておったわけでございますが、私もその当時、大蔵省におりまして、関係したんですけれども、米軍から師範学校が授業料がいらないというのはよくないということで、非常にしつこく師範学校の授業料なしというのをやめさせられました。かわりに育英資金を出すということで、当面、対策を取ったんですが、普通の大学へ入る場合には、せいぜい学生数の5%か7%の人たちが、家庭に恵まれない方々が育英資金を貸してもらうということであったわけですが、師範学校については全員育英資金を借りられるという制度になりました。
しかし、それにしても今までのように農山村の出身の方が師範学校へ子供を入れれば授業料ただで行けるということで、大変優秀な人が、農村から、山村から学校の先生になって、その方々が都会の小学校で教えた。小学校で教える先生がそういう方でありましたから、山の話、村の話、森の話、魚の話、虫の話というのは、自然先生は子供に教えてくれたわけでございます。しかし、今、子供を先生が山に連れて行くということはめったにやられない。今の小学校の、中学校のカリキュラムの中に、子供を山に連れていって自然に触れさせるということは織り込まれておりません。
そこで私どもは一生懸命神奈川県の教育集団に働きかけて、何とか子供を山へ連れて行ってもらいたい、カリキュラムの中へ入れてもらいたいとお願いをしたんでございますけれども、私どもが活動を始めました10年ほど前には、教育委員会でもなかなか耳を傾けていただけませんでした。それで文部省に出かけて、何とかこれは困るじゃないのと。もう少し自然教育、森林教育、山村教育をやってもらいたいなということを文部省と交渉しますけれども、なかなかなるほどということにはならなかったわけでございますが、10年間の間に大変変化をいたしまして、今、わずかでありますけれども、子供を連れて山に行こうかということは、小学校過程で少しずつ始まっております。しかし、ごくわずかでありまして、しかも、非常にそれは腰が引けてる。その腰が引けてる理由は何かと言うと、一つは、子供を山に連れて行ってけがをしたと。川で滑ったとか坂で滑ったとかいうことでけがをしたという時に、親御さんたちが学校の先生にけがをした責任を追及するということが行われる傾向がありまして、山へ行けば当然かすり傷ぐらいは負うのはあってもおかしくない。また、そのことを体験させることのために山へ子供を連れて行くということがあっていいんだと思うんですけれども、先生から言わせると、PTAというか親御さんたちがなかなかそういう事故があった時に追及をしてくるので恐ろしい。それが一つ。
それから2番目には、草の名前、花の名前、虫の名前、鳥の名前を、生徒は先生に「この草は何という名前ですか」、「この花は何という名前ですか」、「この木の名前は」と聞いた時に、先生自身が都会育ちなものですから教えられない。だから、「何だ、先生も知らないの」と言われてしまうことが先生の権威にもかかわるということがあって、それで先生ご自身があまり気が進まないということが二つ目の理由でございます。
それから非常におかしな話なんですけれども、3番目に、このごろの子供はトイレ