るわけですから、その水に対して、水を利用してる方々から税金をちょうだいすることにしようじゃないかというので、水源税という制度をやったらどうかということが議論されて、そしてその水源税で上がってくる税金で、さっき申しましたように、価値を生まなくなった山にその税金を還元して、山に本を植えるとかそういう仕事をしたらどうだとかっていう議論を盛んにやったことがございますが、国民全体としては反対と。水は自然のものであって、その水に税金がかかってくるというのはおかしいと。水道に税金がかかってくるのはおかしいと。あるいは水力発電の電気に税金がかかってくるのはおかしいということで、四面楚歌というか、あまり賛成する人がなくてそういう提案は流れてしまった。そのことが証明しておりますように、都市住民は、山、水、森というものに対してその価値をあまり認めないというのが、現在の一般的な状況でございます。
もう一つこのことに関連がございますのは、江戸期には大変山は、森林は、大事にされました。なぜかと言うと、どういう藩財政の仕組みになっていたかと言うと、どこの藩でも主としてお米が税の中心であったわけでございます。殿様は地主から税金を取ったんですが、その税金はどうやって取ったかと言うと、お米の形式で、お米を納めてもらうと。地主は殿様に税金の形でお米を納める。そうすると、地主は今度はどうやってお米を集めるかと言うと、小作人に土地を貸して、そして小作人が田んぼを耕す。それでお米がとれますと、そのお米のうちの相当部分を地主に渡す。五公五民とか六公四民、四公六民というふうにだいたい半分か6割か、あるいは4割かをお百姓さんは地主に納める。すると、地主はそれを一定の契約、ルールに従って殿様に納める。殿様はそのお米で侍を養う、あるいはもろもろの行政をやるということであったわけで、お米がすなわち税金でありました。
したがって、お米がとれなくなると、藩はいっぺんに財政的に参っちゃうわけであります。したがって、殿様の仕事のうちの非常に大きな仕事は水を管理するということであったわけであります。水を管理するということは、すなわち山を管理するということは、藩の行政として非常に重要であったわけでございます。したがって、昔の我が国のような水田を基礎として経済が成り立っておった国の場合におきましては、お米をたくさんとる、災害があっても、その被害が少なくてすむようにするためには、水の管理が大事だったわけでございました。我が国だけじゃなくて、中国でも古くから政治のもとは河川行政だと言われたりしたわけですが、河川行政の前に山の行政が必要であったわけでございまして、農業国はどこの国も山、川、森林というのを政治の基本に置いてきたわけでございますが、ここ100年ほど、明治のはじめ以来今日までの過程においてすっかり様子が変わった。
また、川は昔は重要な交通路であったわけでございます。物を運ぶのには船で運んだわけで、陸で運ぶということは、日本のように山坂の多いところでは行われていなかった。ヨーロッパ、ローマは非常に昔から道が発達をしてた。「すべての道はローマに通ずる」というような格言があるわけでございますが、ヨーロッパは昔から道路が発達をしておった。そして馬で運んだわけでございますけれども、日本は傾斜がきついものですからとても馬では運べない。「箱根八里は」というような言葉がございますけれども、なかなか東海道を旅するのについても、馬でずっと行くというのはよほど懐に余裕のあ