にはヨーロッパという一つのローカルな地域において生まれた発想が、あたかも世界の普遍思想であるかのごとく広がったということにすぎなかったのであります。
つまり世界中から同じような発想が出てきて、あるとき気がついてみると、全世界で同じような発想があったということではないのです。それは明らかにヨーロッパ社会が近代に入って、世界の経済的な意味でも、軍事的な意味でも、政治的な意味でも支配的な力を獲得をした。それとともに、その他の地域の人々は、欧米的社会に近づいていかないと、ときには植民地にされ、ときには今の経済社会の中から取り残されていく。そのために何とかして欧米社会に近づいていこうという努力をしてきた。それが欧米という社会にローカルな形で発生させた近代思想を、あたかも世界の普遍思想であるかのごとく考えさせる時代を作り出した。それが19世紀であり20世紀であったというふうに思えてまいります。
私はこういった考え方はそろそろ終わってもよいというふうに思っています。そうではなくて、世界にはさまざまな思想があってよい。どこの思想が偉いとか、程度が低いとか高いとかいうことはなくて、実に多元的な思想が展開している世界こそが世界であるという、こういう発想をはっきりと言える時代の方が人間のレベルは高いんだというふうに思っております。
それはなぜそういうふうに言い切ってしまうことができるかといいますと、今まで申し上げてきたことですが、人間の思想の根源には自然と人間の関係があるということでございます。ということは、その地域にどんな自然があり、その自然に対してどんな感覚で向き合いながら人間が暮らしてきたのか。それがその地域の人々の根源的な発想を作っているということでございます。
ですから、それを認め合わなければ、自然と人間のその地域にふさわしい共存の仕方というのも見つけられないはずだという気がしてくるのです。もちろんそれは排他的になる必要はありませんから、世界の人々がそれぞれの地域にある思想をお互いに尊重し合い、同時にお互いに学び合い、そしてお互いに取り入れられることは取り入れていくという、そのことは当然なんですけれども、やはり根の違いということはお互いに尊重し合わなければいけない。
そういう立場から考えていきますと、日本の中にあった自然と人間が何とか折り合いをつけ、おさめ合いながら、お互いが無事な世界を形成し続けていく、そこにこそ自然と人間の共存していく世界があるんだという、この自然観というものはもう一度私たち見直していってもよいのではないかという気がいたします。つまり、ここにあるものは自然と人間が同じ時空を生きている仲間であり、そして人間が自然を保護するのでもない、自然が人間の上に君臨するのでもない、同じ時空を何とか折り合いをつけながら生きていこう、そういう感覚です。
ですから、実際、村におりますと、東京にいるときとは違う感覚をいっぱい持ちます。あるとき私が自分の家の天井裏を掃除をいたしました。それはなぜかといいますと、天井裏にこのくらいの穴がぽっこり空いておりまして、床の間の上なんですけれども、冬、そこから風が吹き込んできますので、これは直さなければいけないというのでやりました。