困りものなのか、分からないという。はっきり言えることは、その両面を持っているということです。だから、そういう風土に暮らしてきた人たちは、人間が自然を厳しく制御しようとするわけでもなく、さりとて、ただあきらめるわけでもなく、何とか自然と人間の関係に折り合いをつけていこう。つまり、ときには流されるかもしれないけれど、流されても破滅的な状態までいかないように工夫をしておこうと、そんなところだろうと思うのです。つまり、そういうふうに常にお互いが折り合いのつくような形を作っておこうということでございます。
この発想は、実は戦後のある時期ぐらいまでは結構あったのです。例えば今、日本の川を見ると、大体農村地帯ですと川の堤防のすぐ近くまで水田が来ている場合が多いだろうと思うのです。つまり、川の近くに林がないということを言おうと思っているのです。
ところが、もともと日本の川は川の近くに、つまり堤防の、畑とか人家側の方に樹林帯、つまり林を持っている場合が多かったのです。この樹林帯がなくなりましたのは昭和に入ってからのことが圧倒的に多くて、どうしてかといいますと、戦時食糧増産です。戦時中に食糧増産するために田畑を増やしたかった。そのときに川岸の林を切るのが一番早かった。
この川岸の林というのは何のためにあったのかといいますと、人間たちが、川は堤防を作っておさめておいても、ときには必ず氾濫するということを考えていたからです。だから氾濫したときに横に林を作っておくことによって、水があふれたとき鉄砲水のような勢いで田畑がつぶされたり人家がつぶされたのを防ぐ。林といっても、むしろ木がギューギューになっている林が多いんですけれども、その中に一遍水を流させることによって濁流と一緒に流れてくる丸太とか石とか大きなごみを取り払い、あふれるときには水がしたたるように、しみ出るようにあふれさせていく。つまり、この水の勢いによる被害をとめて、しみ出る水の被害は受け入れようという、こういう発想です。
そうしますと、日本の場合には傾斜が結構ありますから、1週間も2週間も水につかっているということはないわけで、上手な排水さえできれば1日、2日で大抵の場合には水が去ってくれる。水がしょっちゅう出るようなところは高床式にしておけばよいではないか。もっとたくさん出るところは、ときには2階に船をつるしているような地域もありましたけれども。
そうやって川はできることなら氾濫してほしくない。だけど、いくら人間が堤防をかさ上げしていったって氾濫するときは氾濫するんだ。だったら氾濫を上手にさせようという。だから林を作って、その後、水はけがよくなるようにして、ときには家の作り方を変えて、そんな暮らしを人間がしていたわけです。
そのときにもありましたものは、川が氾濫するというのは一面では困ったことです。ところが、もう一面では、そのときに田畑の土を入れかえてくれるというありがたさがあったのです。これは昭和20年代までは農学者の間で議論されていました。つまり、川を一切氾濫させないようにしてしまうと土壌がやせていくということ、つまり山から新しい上が入ることによって土壌が生き返る、そういう利点をなくしてしまったということです。