ここまで高齢者が暮らしやすいということは自慢をしてもいいというふうにも思っているんですが。ただ、戦後の社会が村の衰退をなすがままにしてきたというのはやはり好ましいことじゃなかったことには変わりありません。
じゃこの村の衰退というのを時間という立場から考えると何だろうかといいますと、私の村でも追跡から見れば縄文時代からの遺跡が出てまいります。もちろん縄文時代からずうっと継続的に人間がいたのかどうなのか、そこら辺は全く分かりませんけれども、ただ、もともとは山村地域というのは案外集落形成の古い地域ですから、非常に長い間、人間たちが暮らしていたことには変わりないだろうと思われます。
その暮らしていたというのは、その間で、ただ人間が生きて死んで、生きて死んでを繰り返していたわけではなくて、その中でその村に適した暮らし方、その暮らしのための技術、知恵の働かせ方、判断力、さらに村にいろんな文化とか伝統芸術とか、そういうものを作り出していった歴史でもあります。つまり、人間が暮らした時間とともに村の営みの歴史が蓄積されているわけです。これは私にとっては大変貴重なもののように思われます。本当に何千年もかけて人間が作り出してきた蓄積なのです。それを、今、一方的にこの蓄積された時間を今の社会は失おうとしている、それが現在の山村の衰退ということの時間の面から見た現実だろうと思うのです。
ですから自然を破壊するという行為が、自然がこれまで一生懸命ためてきた時間を収奪してしまうことだとするならば、農山村の地域を壊れるがままにしていくことというのは、やはりその農山村の歴史が蓄積してきたさまざまな営みの蓄積、時間の蓄積を、今、無に帰そうとしていることだというふうに思えてきます。
そういう点では自然を大事にすることということと、人間の営みの歴史とともにあった時間を大事にしていくこと、この二つは同じ次元でもっと検討されなければいけないことだろうというふうに思われます。そうでなければ、最初に申し上げたような自然の無事と村の無事と私の無事と、この無事が一つの時空の中にあるというような感覚をこれからもう一度作っていくことはできないのではないだろうかという気がしております。
実際、村にいたり、また私自身は結構日本の各地の村々とか森とか川とかを歩いておりますけれども、そういうことをしているとき、そしてまたヨーロッパなどの農山村を歩いているとき、そういう歩みの中でいつも感じておりますことは、自然と人間というのはお互いに模写し合っている、つまりお互いに写し合っている関係かもしれないなというふうによく感じます。といいますのは、人間たちが大変合理的なものの考えをするようになったとき、そのとき自然に対しても、自然が合理的に制御されたり、合理的に利用できることを要求してきた。そうなりますと、自然を制御するために、例えば川は、水がぶつかるところはコンクリートにしてしまった方が合理的であるというような発想が出てきた。あるいは農業用水などでも水さえ確保できればいい。ということになりますと、昔の上の間を小川のように、溝のように流れていたようなところですと水が漏れますので、コンクリートの三面張りにするか、暗渠にして土管でも入れてしまった方が水が合理的に利用できるという、そういう発想になっていく。つまり、人間の側が合理的な社会形成をし、合理的な発想で人間の一生を考えていくような時代には、そのことを自然に対しても要求し、そのことによって自然も大きな変貌を遂げていくという