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ぼくのように丸太を作って林業をしようと思っていない。少し間の木をすかせて、その木はお風呂ですとか囲炉裏ですとかで薪として使えばいいと、こういうふうに思っている人間は、春になればツツジが咲いている山もいいなと思うわけですし。しかし、やはり林業で生計を立てていこうという立場の方から見れば、ツツジが生える山というのはありがたい山ではないというふうに、どちらが正解かではなく、恐らくどちらも正解だと思うんですけれど、そんなふうにいろんな見方ができます。

こんな話をしていますと時間がなくなってしまいますので、本題に入っていきたいと思いますけれども。

きょうこれからお話ししようと思ってまいりましたことは、私たち自然保護という問題に対して今では大変多くの方々が関心も持っているし、支持もされているというふうに思います。しかし、この自然保護思想というのはもともとやはり欧米から入ってきた思想で、自然保護思想が間違っているというわけではありませんけれども、そろそろ日本、つまり東アジアの島国に適した自然を守る考え方というのが出てきてもいいのではないかという気も持っています。

といいますのは、私、あんまりアメリカという国は行ったことがないんですけれども、ヨーロッパの国々は結構ぶらぶらと何回か旅行をしています。そのときに強く感じますことは、やはりヨーロッパの持っている自然の世界の力のなさ、それに対して日本という、この東アジアのモンスーン地帯の自然の持っている力強さ、この違いが非常に大きなものがあるというふうに感じてきます。夏など特にそうなんですけれども、夏の山の木々の色をヨーロッパで表現すれば、やはり草色のような、黄緑色に近い緑の表現だろうと思うのです。ところが、日本に帰ってきますと緑と黒の中間のような黒緑色をした山が延々と続いている。

また、こちらに帰ってきますと、林の中はいろんな蔓類が入っていたり、いろんな木が生えていて、簡単には山に入っていけないような山がたくさんございます。日本の場合、例えば水田を休耕田にして四、五年たちますと、もうそろそろ雑木林のような様相を呈し始めてきます。しかし、ヨーロッパ地域では恐らくこういうことは起きにくいし、起きるとしてももっともっと長い時間がかかるだろうという気がいたします。それだけ自然の持っている生命力が弱い。こういう自然の前提がやはり各国によって違うわけですから、日本には日本に適した自然保護の考え方があってしかるべきだろうというふうな気がするのです。

そんな気持ちを持っていて、初めに私の群馬県側の家であります上野村の話から入っていきますと、私が上野村に行きましたのは、二十歳過ぎごろにたまたま魚釣りに行って気に入ってしまったというのが出発点ですので、それまでは何の縁もゆかりもなかった村です。

この村に行きましたころから、ぼつぼつ村人たちも自然保護という言葉を使うようになっていました。しかし、村で話を聞いておりますと、この自然保護という言葉は何となく村にはまっていないのです。決して変なことを言っているわけじゃないんですけれども、どういうふうに言ったらいいかといいますと、外来語のような感じがあるわけですね。つまり片仮名語みたいな、自然保護は日本語なんだけれども、村人がやはり自

 

 

 

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