らされてくる。それらを何とか、当時はかなり民間主導型なんですね、何とか保存しようという動きが有識者の間にあるわけですが、岡倉天心だとかフェノロサが日本美術の重要性を指摘するのは、まさにそういう時期です。
少なくとも文化財の保存が明治21年から明治30年ぐらいまで、各々の文化財の価値評価をともなう基礎的な調査が行われます。それらの動向を背景に明治30年に古社寺保存法という法律ができるわけです。つまり明治元年の廃仏毀釈から、荒らされていく社寺を法的に保存を図ろうということです。この明治30年というのは文化財の保護の流れの中では大変記念すべき年だというふうに評価できます。
それからちょうど昨年で100年目を迎えました。幾つかのパンフレット等でその古社寺保存法の制定についての読み物等も出ておりましたので、あるいはご覧になった方も多いかと思います。この制度は今日に至るまで、文化財の保存の一つのルールとなるわけです。つまり、それは何かといいますと、我が国の文化財の保存の基本的な仕組みを指定制度にする。分かりやすく言いますと、国宝とか重要文化財とかという指定をする。土地については史跡だとか、あるいはチョウチョウ、トンボの類ですと天然記念物、例えば上高地だとか富士山というのは名勝ということで指定し、保存してゆくということです。
そういう指定制度を、社寺の建造物や社寺の宝物について指定をして保存をしていくという、そういう仕組みが明治30年に作られたわけでございます。それは明治元年の廃仏毀釈による一種の反動だというふうに受けとめられます。
その指定制度では、当然指定をされる物件は現状変更の制限を受ける。現状をいたずらに変更するわけにはいかない。まさに建てられた、作られた当初の形を今後になるべく伝えようという、現状変更を制限して保存してゆくのが、指定制度の基本であり、その考え方は今日までず続いております。
さて、ナショナル・トラスト運動の中で関心を持たれる土地に伴う文化財、つまり一般的に遺跡とか史跡のような文化財については、その後、大正8年になってから史蹟名勝天然紀念物保存法という法律が制定されてからになります。
この法律制定の最初の動きは、植物学の権威でありました三好学先生の提唱から入っております。もちろんその基盤は、先ほど田村先生がおっしゃいましたように、イギリスやドイツの産業革命、あのライン川が真っ黒になってくる、あるいはライン川周辺の鳥類が危機にさらされることなどを背景に、鳥類研究所が設立されるわけです。そうした天然記念物の保存をドイツに学んだ三好学の提唱によって、まず天然記念物の保存がクローズアップするわけです。その流れの中に、いわゆる遺跡、例えば城郭や古墳などの歴史的遺産の保存についても対象にするという経緯があります。
冒頭申し上げました古社寺保存法と同様にこの史蹟名勝天然紀念物保存法も、指定制度でもって文化財を保存するという流れになるわけです。この指定制度は、更に昭和24年、ことしでちょうど法隆寺金堂が焼損して50年目を迎えますが、この火災をきっかけに、文化財の保存全体を見直そうということで翌年の昭和25年に文化財保護法が制定されます。現行の文化財保護法は、まさに古社寺保存法や史蹟名勝天然紀念物保存法を踏まえながら保存の仕組みを、指定制度今日に到っているわけでございます。