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ちょんまげを切って散切りの頭になると、文明開化の音がすると言われたわけですが、そういう時代における文化財は大変な危機でした。旧物の破壊行為が至るところで行われる。例えば奈良の興福寺の五重塔はそのときに壊されようとしております。それはもう無用の長物であるという点で壊されようとした。しかも、その壊す要因は非常に単純なんです。あの五重の塔に使われている釘だとかブロンズをとるために破壊しよう。あるいは彦根城を破壊する。そういう事態は数々であったようです。

この東京の近郊でも鎌倉の高徳院、鎌倉の大仏さんもアメリカに売却をしようと。しかも、仏さんとして売却するんではなくて、鋳つぶして売却をする。そういうような動き方もあったわけです。

こうした記念物的な、つまり不動産的な文化財に限らず動産的な文化財、例えば天平写経というような有形文化財が荒縄にくくられて、奈良の通りでたたき売りに出されている。法隆寺や東大寺といった大寺は完全に荒廃し、東大寺の大屋根は軒先が2〜3mぐらいうねり立っているというふうふうなそういう状態で社寺の荒廃は非常に激しかったわけです。その時期は恐らく私は、近代における文化財の保存上の最初の大きな危機だと思います。

二つ目の大きな危機、これは太平洋戦争前後、特に戦後の混乱期、この場合は主に不動産文化財よりも動産文化財に非常に大きな危機は訪れたわけでございます。具体的には各種文化財が海外へ持出されたことです。この現象は明治期も同様であったわけですが。

それからもう一つは昭和40年代を中心とした、つまりそのあたりから、このナショナル・トラストの問題が日本では起こってくるわけですが、いわゆる高度経済成長期に入る直前、あるいはその前後、つまり昭和40年代の土地開発や、あるいは生活様式の非常に大きな変化、そうした中における文化財の保存の危機があったかと思います。

中でも不動産文化財についての、つまり土地に伴う文化財についての保存問題は大きな危機を迎えてくる。例えば木原先生が最初、申し上げられましたように、鎌倉の御谷の保存、あれは授産所の建設問題が発端となるわけですが、のちに古都保存法制定の契機となります。その頃そうした危機感はたくさんありました。やがて土地開発の問題は、文化財の世界のみならず自然環境の保存でも、それぞれの展開を今日まで見てきたと思います。

私は、最初にあげた明治元年の神仏分離令、これに伴う一つの文化財の危機を、のち、文化財の保存の原点というふうに位置づけております。つまり何かといいますと、これはちょうど英国でナショナル・トラストができ、設立された1895年、これは日清戦争のちょうど終わった時期ですが、その日清戦争のころになりますと、日本人も、それまでいわゆる旧物破壊という流れの中から、戦争に勝ったか負けたか、その評価は別としまして、新しい民族意識をもってくる。日本におけるナショナリズムがそこで高揚してくる。つまり、その民族としての精神的な意識の高揚、それが文化財の保存という点に結びつくことと無関係ではなかったと思われます。

具体的に申しますと、明治21年から臨時全国宝物取り調べ局というのが宮内庁に設置されます。それは文明開化によって旧物破壊主義の風潮の中で各地の文化財が大変荒

 

 

 

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