すよ、健全で閉鎖的でない常識を持っていりゃあできるはずなんですが。そういうトータルな問題を考えていこうというのがまちづくりですね。それは当然に環境的認識に入っているわけです。
そして、そそれぞれの地域は違うんですね。自分たちの地域のでき方、ここに書いてあるとおりに個性の評価、それは歴史とか自然とか文化とか、そういう意味でそれぞれが違うんです。他との違い、よさ、いいところを発見して、それをちゃんと評価して伸ばしていくということがないと、何となく漫然として環境とか言われてもピンと来ないんですね。おれの町はここがいいぞということが分かることです。
私がやっていた横浜というのは港町です。港なんてどんどんどんどん機能が変わっちゃったんです。昔は日本のほとんど全部横浜で外国貿易を引受ていました。戦後でもかなりやっていますが、今でも大きな港ではあるんですが、他の港もできてきてどんどんどんどん機能か減っちゃっていますね。それよりも輸送手段としては、国際的な輸送としては、飛行機の方が主体になっていますから、どんどん機能なんて変わってくるんです。でも、やっぱり港なんですね。
ですから港っていうイメージ、横浜と言えば港、横浜なんですね。そこのイメージをどうやって生かすか、その個性をどうやって伸ばすか、私はいろいろ考えました。具体的なお話をここでする時間がありませんけれども、そういう自分たちのもののいいよさを発見していく。それはもうなくなっちゃったよと言わないで、あるものをやっぱりどうやって生かしていくかですね。今の個性の生かし方は、中身はいろいろ変わっても生かし方があるはずです。そういうふうに個性を発揮させるということを考える。
あるいは自然でもそうですね。地方の町なんかへ行くと、おれのところはもう何にもないよと、もう山ばっかりの自然しかないよ。その自然がまさに自分たちの財産なんですね。その自然をどれだけ大切なものとして使っているかという問題、何もないんじゃない、大いにあるんです。あるいはある地方に行きますと、向こうの山、何ですか。あれは西山ですよ。いや、西山って、西にあるから西山は分かるけど、もうちょっと固有名詞がないんですか。いや、よく知りません。それは名だたる有名な山なんですよ。
ところが、今、私、ネパールから帰ってきたばっかりなんですが、ネパールなんかへ行きますと、あそこの山が何とかでね、全部名前を知っているんです、8000メートル、7000メートルの山、私もとても覚えられませんけどね。カトマンズの盆地でも7000メートルの山が見えています。あの山は何だ、やっぱり固有名詞で言えるんですね。固有名詞で言えるぐらいなら認識度が高いというところ、何となく西にあるから西山では困る。そういう漠然たるもんじゃなくて、やっぱりきちんと自分たちがきちんとした認識をするということも必要だろうと思います。
中央集権の時代は画一的に地域を考えてきましたが、全部地域が画一的になるはずがありません。北海道から沖縄まで、あるいは太平洋側から日本海側、違うのは当たり前なんで、そういう個性を確立していく。今までの中央でやっているとどうしても画一的になっちゃうんです。中央行政って、とにかく同じものを全部やれっていうことですから。そうじゃないようにするためには地域の市民主体のまちづくりという形でないと、個性的にならない。当然それが人間環境なり、アメニティの問題。それは人間のサイズ