開発優先型じゃうまくいかない。中央官庁がばらばらでいろんなことを言ってやっているんだけれども、うまくいかない。それぞれの地域、地域政府、市民政府、市民、そこが責任を持たないといけないんじゃないかと、こういう発想から、この平仮名の「まちづくり」ということが言われるようになった。つまり総合的に地域的な問題を考える、市民の立場から考えるということなんですね。
それはさっき私が申し上げたような環境という考え方とも非常によく合う言葉なんです。そういう環境的な発想に立ちますと、当然地域ごとに考えなきゃいけないとすると市民が主体的にトータルに考えなきゃいけない。しかし、一人一人の市民といっても無理だから、そこに自分たちの自治体を、中央の出先機関ではなくて自分たちの政府に変えていくという運動もこれ入っているわけです。今の自治体がそのまま市民政府だなどというふうに私は言いません。今の場合は、多くの場合にはただの中央の出先機関である意味が多いかもしれません。法律的にもそうなっているんですね。中央分権推進委員会で機関委任事務というのが、大きなポイントになっています。今では自治体というのは全く中央政府の機関だということになっちゃっていたわけですね。それをやめましょうというのは理念的には非常に大きな意味を実は持っているんですが、そういうものを、今、議論をしているところですね。それは自治体を市民が自分たちの政府にするということになるわけです。
この方法としては、 トータルな手法、さっきから申し上げているとおり、トータルにハードやソフト、ものとか人とか仕組みとか心とか、そういうものを全部一緒にして考えないと、これは何省の分野だから、何法の何とかだから、それはあくまでも手段なんですね。どうしたいか、こういうモノが全体がものとか人とか仕組みとか心が、組合わさって行われるべきなのです。
私、昨年ブータンに行きまして、ブータンで小学校の1年生の授業を見たんです。1年生には、二つしか科目をやりません。第1にやるのが英語なんですね、英語。小学校6年生になりますともう完全に英語だけの授業です。それで、みんな「はーい」なんて手を挙げてやっているんですよ。先生は英語しか言いませんね。
2番目がゾンカ語、ブータンは盆地ですから、いろんな言葉がありますね。その中で共通語がゾンカ語ですね。いわば国語と考えていいでしょう。
3番目がおもしろいんですね。3番目が環境なんです。環境を教えるんです。環境ってどうするんですか。ただ教室にいてどうのこうの言うんじゃなくて、外へ出てゆくと、そこに花がある。この花はどういうことだ、この草はどういうことだ。そこへ雲が流れています、高いところですからね、この雲はどうして起きるんだ、向こうの山はどうなってできているんだ、こういう話をする、それが環境ですね。自分たちの身近な環境ということを小学校1年生でやる。この二つしかやらないんですね。
だから、さっき有馬さんにも言ったんですけど、3〜4年生ぐらいから環境をやるなんてちょっと遅いんじゃないんですか。1年生からちゃんとやらないことにはね、家庭が問題だと言っても。だから、まず環境認識をするということなんですよ。さっきの言ったような意味で環境認識しないと困るんです。ただ、さっきのお話のように、山ができる先生がいないとかいうんだけど、何も改めて環境教育なんかしなくたって常識で