社会システムとしてもともとないんです。ないんだけれども、本来はそうなっているんです。それはそうやって認識しようというのが、できるだけそういうつながってあるものなんだ。我々がやると一方的にいいことがあるんではない。どこかに対してマイナスの影響が出るかもしれない。そういうことも考えながらやる。環境アセスメントなんていう手法が手法としてはできてしまいましたが、あれもまた言うだけで、一体それがどうなって、どう評価するのか、実は評価システムがそんなに確立しているとは私は思えません。
いずれにしても、そういうトータルな環境、連鎖的にあるトータルな環境である。環境という言葉を使う以上、そこを認識していただきたいんで、ただ水とか緑とか、あるいは空気とかいうものが孤立独立してあるんじゃないんですね。全部つながっている。一方がよければ一方が悪い。我々が便利になることによって今のいわゆる環境汚染というのが出てくるわけですね。しかし、その便利さとの反対側なんです。だから、うんと不便にすれば二酸化炭素問題なんてたちどころに解決します。でも、それじゃあ暮らしていけないとか、地球の人口を支えていけないから問題にしているんです。環境そのもの、二酸化炭素を減らすことは非常に簡単なんです。全部やめりゃいいんですからね。縄文時代に帰ればよろしいんですから。でも、そうできない。これだけの人間が生きていかれない。地球に60億も増えちゃった。60億の人間が生きていかれない。あるいは快適な生活ができないというところが問題です。
しかし、そのまま無限に欲望を募らせれば環境全体としては人間をおびやかすから、どこで妥協して我慢するかという、そういう相対的な関係にあるんですね。だから環境を一方的な関係で考えることはできない。そういう連鎖的な関係にあるということは、いつでも問題がトレードオフの関係にあるということです。そういう学問が全然ないということが実は問題で、我々が思考したのはそういうものを一緒に考えようということだったんですね。
4番目の問題が、そうなると地域性ですね。じゃ環境という地球上の問題からいきなり考えたってわけが分からん。やっぱりまず狭い身近かな地域、例えば市町村とかいう単位が一番考えやすい。我々の何か一つやると、連鎖関係は無限にきりがないかもしれませんけれども、地域で考えると、そういう問題が非常にはっきりする。地域の中で何を大切にしているか、何を大切にしていないか、環境でもお互いに連鎖はしているけど、価値観の置き方ですね、我々はどこに価値を置くんだ、ということが視野に入ってくる。全部均等にというのはなかなかいきません。あるところに価値を置くことによって、環境の意味が変わるわけですが、それもある価値を実現したいがためですね。家を作った。家を作れば必ず材料ってどこかの木を切っちゃいますね。じゃあ家を小さくするのか、家はある程度大きくしたいのか、そういうことのバランスの問題になりますが、それは地域で考えると比較的考えやすい。そして我々の目に見えるところで問題を解決するためには地域性ということが重要だということですね。
しかし、5番目、今度はそれと全く逆のことなんですが、地域の問題は別に空気に仕切りがあるわけではない、水に市町村の仕切りがあるわけではありません。「日本橋の海はロンドンまで通じている」なんてかって林子平かなんかが言ったんですけど、全