形態についての詳細な規定が含まれた。たしかに、後の憲章主義の呼び水としての「地域共同体」の概念はこの憲法に含まれていたが、「憲章」そのものについては憲法は言及しなかった。ところが、大統領派の願望に反して、最高会議は、ソビエトによる執行権力への統制を憲法が許す限り復活しようとし(こうしたシステムをウクライナでは「強い市長」制と呼ぶが、通常この用語は南ドイツ型自治体を指すので正確ではない。いずれにせよ、最高会議法案において市長が弱いのは事実である)、これに対抗する大統領の議会工作は成功しなかった。ここにいたって、大統領派の意向を反映していると言われるウクライナ都市連合(Asotsiatsiiamist)提出の地方自治法案には、憲章主義が明記されたのである。しかしながら、自治体の組織構造が憲法によって詳細に規定された後の憲章主義への転換は、滑稽な図を現出させることになった。そもそも都市連合の法案そのものが、ロシアの1995年連邦地方自治法と比べれば遥かに事細かに、自治体の組織構造を規定している。一方で国法によって詳細な規定を与えながら、他方で、「より些末な点については自発的に(!?)憲章で定めなさい」というのでは、憲章主義の本旨がわかっていないと言われてもやむを得まい。
1996年から97年にかけて、最高会議において、地方自治法についての最高会議法案と都市連合法案とのすり合わせが行われた。両案の相違、結果として採択された地方自治法の概要は次頁の図表3の通りである。
都市連合法案は、州・地区ソビエトを市町村の連合体化する方向を徹底させ、地区ソビエトは(住民の直接公選によってではなく)地区を構成する市町村ソビエトからの代表派遣によって、同じく州ソビエトは、州を構成する市(「州に直属する市」)と地区からの代表派遣によって構成するとした(第65条)。既述の通り、これは集権型のチェコ、ハンガリーで見られるシステムである(51)。これに対し、最高会議法案は、州・地区に直接公選のソビエトを置くとし、しかも、州・地区国家行政府の巨大な権能という憲法上の既成事実を理由づけるにあたって、「ほんらいは州・地区ソビエトの権能であったものを、それらソビエトが州・地区国家行政府に委任したのだ」という理論構成をとった(第44条、第45条)。このように、最高会議法案は、憲法が課した狭い枠内で州・地区ソビエトの権能をぎりぎりまで回復しようと試みるものであった。
二つの法案のすり合わせの結果、1997年4月24日、最高会議法案に近い地方自治法が採択された。クチュマ大統領は、これに対して、?「地域共同体」の概念をより強調すべきである、?州、地区ソビエトの直接選挙、およびその過大な権限には同意できない、?「弱い市長」制には同意できない、?州、地区レベルの行政府はあくまで国家機関であり、当該ソビエトの執行機関ではないのに、採択され