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長選挙に間に合わせるために、真冬に湿った土の上にアスファルトを敷くことになろうとは。

(34) 年金の払い足しの規模は、たとえば支給額が45万ループリであったとすればそれに10万ループリ上乗せするらしいので、かなり顕著な額である。しかもこの払い足しには「市長年金Jなどという意図見え見えの名称が与えられている(インタビュー:スコロボガートワ(skorobogatova)、イリーナ・アレクサンドロヴナ/ウラジオストク市庁総務局長(rukovoditel’apparata)、12月23日、ウラジオストク市)。総じてこのような財政政策をおかしいと思わないかとイリヤ・グリンチェンコ/ウラジオストク市庁地方自治問題部長に後に尋ねたところ、「ロシアには革命的合目的性という言葉があるからねえ」と言って苦笑していた(12月26日の聞き取り)。

(35) 旧共産圏における「ザオチュノ」は、我国における「通信教育」とは異なって、昇進上必要な場合に高等教育資格を形式的なりとも与えるために存在する、かなりいいかげんなものである。「非通学教育」とでも訳した方が正確である。

(36) 本稿の登場人物の中でも、1990年から91年にかけてのウラジオストク市長ブリノーフ、市庁地方自治問題部長グリンチェンコ、レーニンスキー市区管理人ポタポヴィチなどが船員出身である。筆者がグリンチェンコに「ウラジオストクで船員が進歩的な役割をしばしば果たすのはなぜか」と尋ねたところ、「それは僕たちがずっと昔から世界を見てきたからだよ」と答えた。彼が最初に外国を見たのは1976年に稚内に来た際であったが、ソ連で宣伝されていた「腐朽しつつある資本主義」など彼はどこにも発見することができなかった。「もちろんそれがショックだったかと言えば、そんなことは全然なかったけどね」(12月26日の聞き取り)。

(37) 小森田 94下、p.20。

(38) インタビュー:シンコフスキー(Shinkovskii)、ミハイル・ユーリエヴィチ/極東大学ウラジオストク国際関係研究所所長、12月23日、ウラジオストク市。

(39) 同上、シンコフスキーからの聞き取り。

(40) 同上、シンコフスキーからの聞き取り。

(41) Krasnoe znamia,8 1V 90,p.2;Vechernyi Vladivostok,28 ? 90,p.2.

(42) 太平洋艦隊司令官フヴァートフも同様のどっちつかず態度をとり、「警戒態勢施行、ただし弾薬は装填しない」といった意味不明の命令を出した(前掲のシンコフスキーからの聞き取り、12月23日)。

(43) 藤本 93,pp.138-139。

(44) Vladivostok,3 ? 91,p.2;11 ? 91,P.3.

(45) Vladivostok,1 ? 92,p.2;10 ? 92, p.1.

(46) 前掲のフストフスカヤからの聞き取り(12月19日)。

(47) インタビュー:前掲のシンコフスキー、及びハマートワ(Khamatova)、アンナ・アレクサンドロヴナ/極東大学東洋研究所副所長、12月23日、ウラジオストク市。

(48) クライ行政府のアルヒーフ文書。

(49) Leonid Bel'tiukov,”Kto vy,gospadin Nazdrachenko?" Primor'e,No81,spetsvypusk 10 Xl 97,p.3.

(50) 前出の松崎潔領事からの聞き取り(12月19日)。

(51) 前出のシンコフスキーからの聞き取り(12月23日)。

(52) 小森田 94 上、p.70。

(53) Krasnoe znamia,5 ? 90,p.1

(54) インタビュー:ペトローワ(Petrova)、ワレンチナ・アレクサンドロヴナ/沿海地方行政府 報道情報都市・地区対策課長、12月19日、ウラジオストク市。

(55) Utro Rossii,3 V1 93,p.2

(56) この選挙時のウラジオストク市の有権者総数は 469,083名、投票総数 157,565名(投票率33.6%)、チェレプコーフの得票 92,703、対立候補ウラヂーミル・シャホフ(保険会社社長)の得票 59,871(絶対得票率12.7%)であった(Utro Rossii,29 ? 93,p.1)。1993年のウラジオストク市長選挙の経過は、下記に詳細な説明あり:小森田 94 上、pp.70-71。

 

 

 

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