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自分の固い支持者の票しか得ることができなかったのである。このようにナズドラチェンコ派は政治手腕の冴えをみせつけたが、新議会がもはや「ポケットの中の議会」でなくなったことは明白であろう。

 

(3) モスクワの代理戦争:チェリャビンスク州との比較

 

沿海地方政治の特徴は、それが中央政治との密接な関連の下に展開されてきたことである。その理由は、第一に、クライが中国国境に接し、太平洋艦隊基地を抱えている戦略上の要地であるということ、第二に、資源採掘産業を通じてモスクワ金融資本と結びつくということがあげられる。こうした利点なしには、ナズドラチェンコがチュバイスに対抗するなどということはそもそもありえなかっただろう。またその反面では、沿海地方の重要性ゆえに、ほかのリージョンの知事であれば許容し得たであろう程度のナズドラチェンコの「自立性」が許しがたいものとして全国的なスキャンダルとなるのである。

当該リージョンの戦略上の重要性が中央政界との強固な結びつきを作るという点では、沿海地方はチェリャビンスク州と比較されうるだろう。チェリャビンスク州は、?ソ連崩壊によって国境州となった、?核兵器開発施設を多く抱える、?金鉱がある、という3点で戦略的要地とみなされる州である。その結果、ワヂム・ソロヴィヨフという問題の多い知事、ほかのリージョンであれば早々に解任されていたであろう知事が1996年知事選まで居座り、その結果、レベヂ系の元ソビエト執行委員会議長(ピョートル・スミン)に完敗した。なぜこのような事態となったかといえば、戦略的要地には(たとえ能力上問題があっても)知事としてモスクワのイエスマンを配置しておく必要があったからである。

1993年の企業私有化の際、ナズドラチェンコは、チュバイス型の急速な私有化に反対し、地元の企業経営層の所有権が確保される方向での漸進的私有化を要求した。実際には、クライの企業経営層を組織した「パクト」(後述)にコントロールされた私有化はかなり急速に進んだが、そうなると今度は逆に、「インサイダー取引による私有化である」という批判を避けるために私有化の問題点をチュバイスになすりつける必要があった。こうして1995年までに、ナズドラチェンコとチュバイスの関係は決定的にこじれた。チュバイス周辺は、「パクト」の生え抜きでナズドラチェンコの右腕、元副知事、そして当時沿海地方議会議長であったイーゴリ・レベヂーネツのナズドラチェンコへの謀反を助けた(27)。激怒したナズドラチェンコは、1995年12月に予定された沿海地方知事選挙で自分が有効票の65%以上を獲得した場合、チュバイスを当時の第一副首相職から解任することをエリツィンに約束させたと噂される。こうした噂の真偽は確かめようがないが、選挙に

 

 

 

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