期議会には、推薦候補5名を当選させている。前大統領全権代表で現在では副知事の一人であるイグナチェンコを推薦し当選させていることは注目される(24)。
沿海地方におけるロシア共産党の党勢は、1995年12月の知事選挙に際しては、独自候補を立てると決めながら、候補者登録に必要な数の署名を集めることができずに出馬を断念するような程度であったのだが、最近2年間で自民党のそれにほぼ追いついた。1997年末の時点で党員数約3千名、39の行政単位のうち30に市・地区委員会を有している(そのほか9単位には初級党組織のみが存在する)。自民党にやや遅れて、有給専従職員を置くことを検討している。沿海地方の人民愛国同盟には、将校同盟など8組織が参加している。1996年の市長・地区首長選挙では、34の市・地区のうち15において人民愛国同盟推薦候補を当選させた。第1期沿海地方議会には一人の党員もいなかったが、新議会には、党員3名、その他の人民愛国同盟推薦候補5名を当選させ、シンパもあわせれば39議員中のおよそ15名に影響力を持っていると豪語するに至った(25)。
ナズドラチェンコ沿海地方知事とチェレプコーフ・ウラジオストク市長の対立という文脈の中では、自民党は明らかにナズドラチェンコに近い。共産党は、どっちもどっち、対立を克服できないのなら双方とも辞任しなさいという公式見解である。ただし、自民・共産いずれも、知事と市長の対立においてキャスティング・ボートを握ることによって党勢以上の影響力を持てることを喜んでいるようにみえる。
ただし、第2期沿海地方選挙に関しては、共産,自民はナズドラチェンコの敗北を過大評価し、議長選に向けて第二勢力として舵取りすることに失敗した。大方の評価によれば、39新議員のうち、ナズドラチェンコ支持者が最大限で20名前後、固い市長派が8名、人民愛国派が8名、自民党支持者がおよそ5名(これはナズドラチェンコ支持者とかなり重なる)であった。1997年12月27日の議長選には、ナズドラチェンコ派からナホトカ自由経済特区管理委員会議長であるドゥドゥニク、市長派から元ウラジオストク市ソビエト議長ソロヴィヨフ、人民愛国派から極東海洋アカデミー学長セディフ、自民党シンパの中から対中国境改訂反対で有名なローゾフ少将が立候補した。共産党と自民党が、独自候補を立てて議長選に勝てると考えていたわけではない。共産党は、ナズドラチェンコ派は第1回投票で過半数はとれず、決戦投票で人民愛国派と協定せざるを得なくなろうと予想していた(26)。おそらく自民党も同様である。ところが蓋を開けてみると、ナズドラチェンコ派が、ドゥドゥニクという優れた候補を得たこともあり、第1回投票であっさり21票を得、議会を押さえてしまったのである。ソロヴィヨフは8票、セディフは6票、ローゾフは4票得票した。つまり、ナズドラチェンコ派以外は、