現在約200人の農家が350tの原料(キュウリ、ナス、ミョウガ、ショウガ、大根など)を生産。コメ生産よりも収益が多く、集団転作の集落もでている。つまり特産品づくりが、もうかる農業へとつながってきたのだ。一方、村の特産品第一号である「名田庄漬」は年間七千万円の売り上げをクリア、一億円産業として発達している。
? 特産品第二号の開発へ
「名田庄漬」に続く特産品づくりは自然薯である。七年間、畑でのパイプ栽培の成功がきっかけで、栽培は年々増加している。100人の生産者が80アールの自然薯畑を耕作、生産量は約8t。赤土系の土質と朝夕の気温差十二度の気候が自然薯に合い、質・量とも県下で第一位の地位を保っている。商品は美容、強壮食、贈答用として注文に応じきれないほどであるが、型の悪いものや、規格外れのものを原料に「じねんじょそば」「じねんじょ焼酎」をつくり販売している。
? 名田庄会の設立
村おこし十年間計画、三本の柱のうち、第一の「村民大学」、第二の「特産品づくり」は比較的順調に推進したが、第三の柱「名田庄商会」の設立には多くの時間が必要だった。その理由は、村内のコンセンサスを得るための話合いの時間が必要だったからである。
昭和58年、村役場、各経済団体、民間企業人ら二十人で構成する準備委員会を結成した。委員会では「地元各団体との競争をどうするか」「社員の人件費負担」「出資金の集め方」などを検討するなかで、設立反対論も少なくなかった。例えば過去において、役場の補助金による地域振興が成功していない、売り先も探せず、地場産業を育てられないばかりか、コスト高で市場の信用も得られなかった、という訳である。しかも今まで取り組んだ事業は、市場調査不足や販売体制の弱さに原因があった。そこで、逆にこの原因を反転させることが必要であるとの声が大きくなり、こうして村民総ぐるみの「名田庄商会」が昭和59年7月にスタートした。
商会の基本姿勢と事業展開:
名田庄商会の基本的なスタイルは
‐1.村おこしになることは、何でも取り上げ、必ず成功させる。
‐2.村内の行政一団体一生産者一住民のパイプ役となる。村内の一人でも多くの人に商会参画を呼びかける。さらに目的を絞りこむと、1.市場の調査および開拓、2.特産品の開発と生産販売、3.観光開発と運営、4.住民所得の向上、5.就労機会の増大を前提とした。
商品開発: 商会は初年度から製品の販売先をきめたうえで生産に入る「受注生産」の路線を敷いた。不良在庫をつくらないのが狙いで、原料生産農家が安心して生産するようになった。発足二年目には、食品以外にも手を広げた。高齢者対策として、盆、茶たく、コースターなどの木工品も作り、多くの特産展に精力的に出品した。三年目には、竹細工、みそ、四年目はヒラタケ加工品、じねんじょそばなどを開発し、商会の取扱う製品は30品種を超えた。
店舗施設: このほか、ふる里味の特急便、ふる里農園、そして村おこしの拠点となる「名田庄あきない館」を造った。この建物は、国道沿いに地元産の杉を使った丸太小屋風、木造三階建て延べ230?。一階は特産品展示場、手打ちそば試食コーナー。二階は会議室と名田庄商会の事務所である。
成果: 生産→加工→販売。村を挙げての努力の結果は、村に信頼と積極性を生んだ。村の知名度も上がり潤いがよみがえった。それを数字で示せば、原料生産に650人。加工販売に40人が従事。年間売り上げ約二億円。うち所得は約五千万円。従事する人の大半は高齢者や主婦である。村おこしは終わりがない息の長い事業である。これからも新しい発想で、さらなる村おこし事業に取り組む覚悟だ。