[一般事例](株)小川の庄
長野県上水内郡小川村
発端: 昭和62年頃、「このままでは村の農業は成り立たなくなる」と村民や村の出身者たちが悲痛な思いで語り合った結果から始まる。
? 小川の庄は、主に信州名物の「おやき」という郷土料理の製造・販売を行っている。「おやき」とは、小麦粉で作ったまんじゅうの中にみじん切りにした野沢菜、茄子などを詰めたものである。その他にも「そば」を作ったり、漬物を販売したり、現在年商は約9億円に達している。
? 原料の農作物は小川村で採れるものを使うため、売り上げの約80%の金が地元に落ちる。
? 従業員は約120名で、そのうち約80名は60歳以上の再雇用の女性で、工業社会では弱者としてはじき飛ばされていた人材である。
? 企画外の農産物、古い母屋などを有効に活用。
? 「おやき」を製造する工房は各集落ごとにあり、おばあちゃんたちは生活着のまま自宅から歩いて通うことができる。
? 作り手のおばあちゃんを毎年ロサンゼルスのジャパン・エキスポの実演販売に6名程派遣することは、刺激にもなり、また社員教育にもなっている。
成果: 小川村は今では長野県の長寿村の一つになった。おばあちゃんたちは小遣いも入り、生き生きと生活している。
[一般事例] 村民総がかりの村おこし商会 (株)名田庄商会
福井県遠敷郡名田庄村
発端: 十年間計画で村おこしを
昭和38年には4,855人だった人口が、昭和55年には3,100余人にまで減少した。若者の県外流出で、村内の高齢化が全国平均を20年も上回るベースで進んだ。
こうした危機的背景の中で出てきたのが、昭和56年に策定された「詩情あふれる安らぎの里づくり」を目標とした村総会振興十年計画であった。この計画には、三つの大きな柱があった。
? 村民意識を改革するための”人づくり”計画。これが後に、村民大学の開講につながり現在200人余りの受講生がいる。
? 2つ目は、物づくり。限られた土地の中で、所得の向上と産業の振興を図るためにアイデアが必要だ。そのアイデアが「名田庄漬」「自然薯」づくりに発展、現在も名田庄特産物を続々と開発している。
? 行政主導型からの脱却。民間人の発想を取り入れ、物の販売を市場調査から始め、流通市場を開拓する。この考えが地場産業おこしの母体となり、全国で初めての第三セクター方式の村民会社「名田庄商会」の設立へと発展していった。
開始:
? 特産品の原料を契約栽培
名田庄村(農協加工部)が昭和57年から生産をはじめた「名田庄漬」は、原料を村内農家との契約栽培から始めた。生産に先がけ村は昭和56年、5,600万円をかけ加工施設をつくり、運営を農協に託した。農協ではUターン青年二人を職員に採用、滋賀県の漬物工場に六ヵ月間派遣し、技術を習得させた。