日本財団 図書館


〇年間に西欧世界で起こってきたすべてのことと逆行する、歴史的な転換だという点です。これは政治理論や経済学、公共政策にとってきわめて多くの問題を提起しています。少なくとも過去二○〇年間の西欧世界における国家の発展のパターンを考えてみると、これはきわめて注目すべきものです。

政府の役割には、二つのいわばモデルがあります。最初のモデルは、英国、次いで米国で始まったものですが、最小限の国家という考え方です。これは基本的に、アダム・スミスを筆頭とする経済学者によって展開されてきた国家で、経済を国家から切り離すために経済の自律がなければならないとする考え方に基づいていました。経済を国家から切り離せば、生産性は高まり、富もより増えるというわけで、アダム・スミスの著作は「国富論」と呼ばれました。これが最小限の国家の考え方で、論文のなかで私は三つの機能を簡単に説明しましたが、アダム・スミスはこの三つだけが国家を特徴づけるべきものと考えていました。その三つとは、外国の侵略からの保護、国内の治安、そして民間の組織では資金負担ができないようなある種の公共事業の推進です。

しかし、もう一つのモデルがありました。主としてドイツや日本が生み出したモデルです。これは国家主導の経済体制です。これはビスマルクのもと、ドイツで始まり、軍事力の伸長と結びついていました。興味深いことに、英国最初の実業家たちはジョン・コグデンのような平和主義者で、戦争は国富を破壊するだけだと考えていました。平和は繁栄の礎で、彼らは真に平和主義者で、反帝国主義者でもありました。軍事費は社会の活力をそぐと考えていたからです。しかし、ドイツ、続いて日本は違う路線で出発しました。国家主導の経済という路線です。日本については、これが不可避だったかどうかは必ずしもはっきりしませんが、やはり含めないわけにはいきません。私の歴史の見方が間違っていなければ、二つの対立する勢力がありました。慶応義塾大学の創設者、福沢諭吉を中心とする勢力と、伊藤博文、山県有朋を中心とする勢力で、前者は英国型モデル、後者はドイツ型モデルの採用を望んでいました。むろん、伊藤、山県派が勝ち、日本はたいへん強力な工業・軍事国家となったわけです。また多くの点で、教育制度もドイツのそれをモデルにしていました。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION