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海生哺乳類

 

ラッコ

 1013頭の死体が見つかった。3500頭から5500頭が死亡したと見積もられている。プリンス・ウィリアム・サウンドにおける個体数は、非汚染地域で13.5%増加しているのに対して汚染地域では34.6%減少している。保護し回復したラッコ45頭にタグを付けて放したが、30頭が死亡したか行方不明になった。繁殖適齢期の成獣と幼獣の死亡率がより高くなれば、絶滅に瀕したラッコの年齢構成に重大な変化をもたらす。1990年と1991年の船からの調査では、はっきりとした回復の兆しは見いだせなかった。

 

シャチ

 プリンス・ウィリアム・サウンドに住む”AB群”では、36頭(1988年)から29頭(油流出後)、そして23頭(1990年)と減少している。この群れの流出以前の平均死亡率は6%であった。幼獣を連れた雌が通常以上に失われることは、群れの社会構成に重大な変化をもたらす。背びれがつぶれた雄もいた。86頭の群れへの回復は15年を要する。1990年以来2頭が産まれているが。流出した油がどのような連鎖で被害を及ぼすのかは明らかになっていない。

 

ゴマフアザラシ

 200頭が死亡したと見積もられている。1991年の春、胆汁中の炭化水素類が高濃度を持続した。これは油に曝され続けていたことを示している。多くのアザラシの脳障害が報告され、流出後の異常な行動と関係のある可能性が高まっている。1991年、個体数は低迷したままだが、若干の回復が見られた。

 

他の海洋生物

 1989年、ザトウクジラが本来の棲息域から姿を消したことや、トドが受けた被害については詳細な報告がない。

 

生態系

 

潮間帯

 1565マイルにわたって海岸線が油で汚染された。潮間帯に住む全ての生命体の個体数と棲息密度が減った。ただし、ムラサキガイは例外である。ムラサキガイの個体数は増えたが個体サイズは小さくなった。油は自然に浜辺から消えるが、それは潮下帯に運ばれただけであり、汚染は続いている。1991年には高濃度の油がムラサキガイとその下の底質に発見されており、この事によりムラサキガイが他の動物に比べて油汚染の広がりを調べるのに優良な指標になっている。掲藻域の比率が減り、代わって先駆植物が増えた。

 

潮下帝

 1989年から1991年にかけて潮間帯の底質中の油の濃度は下がったが、潮下帯浅瀬の底質の濃度は変わらないか若干増加した。1990年には油で汚染された底質が330フィートにわたって見られた。アマモ群落への被害により浅瀬の海底に棲息するカニや端脚類のような無脊椎動物が減り、かわりに腐肉食種が増えた。1991年には個体数が幾分か回復した。海底やその周辺に棲む動物は、通常の状態以上に炭化水素類に曝され続けている。二枚貝は成長が遅れている。膨大な数の二枚貝が、海岸の汚染を取り除く際に破壊された。

 

魚類

 成魚も死亡したが、卵や幼魚への被害のほうが重大である。特に潮間帯に棲息・産卵する種(サケ)や潮下常に棲息・産卵する種(ニシン)あるいは浅瀬で餌を探す種(オショロコマとニジマス)である。

 

カラフトマスとサケ

 油で汚染された河川での卵の死亡率は、油のない河川と比べて、されぞれ67%(1989年)、51%(1990年)、96%(1991年)、大きかった。1991年には、油の浮いていない上流で死亡率の増加が見られたが、おそらくこれは遺伝子に受けたダメージの結果であろう。若魚の成長率が落ち(通常より25%小さい)、成魚まで成長した固体の率が落ちた(43%落ちた)。1989年には汚染された河川のいくつかで、稚魚と二年魚に奇形が見られた。1990年のサケ・マスの漁獲高は、汚染されていない場合に期待できる漁獲高よりも20%から25%低いと分析する専門家もいる。1992年は前年に比べて漁獲高が25%落ちた。

 

 

 

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