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16世紀には衰退し、北のチンと南のグエンに分裂し、17世紀に50年にわたり南北間の抗争が続けられた。グエンはチャンパを征服し更に南下し、クメールの領域であったコーチシナ全域を領有するに至った。南北対立は18世紀中部で起きた反乱により双方とも滅亡するが、生き残ったグエンー族のグエン福映がフランスの援助により反乱勢力を鎮圧し、1802年南北統一を果たし、「越南国」を樹立してザロン(嘉隆)帝を名乗り中部のユエに都をおいた。

C.フランス侵略

ザロン帝以降のグエン皇帝が排外政策をとったため1858年フランスはスペイン宣教師処刑事件を契機に中部で武力侵略を開始し、1883年にヴィエトナムを保護国にした。フランスは、1887年にはガンボディアを含め仏領インドシナ連邦をつくりハノイに総督府をおいた。1899年にはラオスも併合し、フランス統治は第2次世界大戦末期まで続いた。

d.抗仏戦争とジュネーブ休戦協定

フランス統治下では王朝復権を目指す民族主義者と共産主義者の二つの抗仏運動が生まれていたが、しだいに共産主義者が主導権を握り、第2次世界大戦ぼっ発、日本軍の北部インドシナ進駐(1945年)という情勢下においてホー・チ・ミンを盟主とする「ヴィエトナム独立同盟会(ヴィエトミン)」が結成され、1945年9月2日(独立言さ念日)ホー・チ・ミンがハノイで「ヴィエトナム民主共和国」の独立を宣言した。
大戦後フランスはインドシナヘの復権を図り、英国管理下の南部に援軍を派遣し室事的に制圧した。ホー・チ・ミン政権はフランスと交渉し、一時期「仏連合内のインドシナ連邦を構成する自由国」として認められた(1946年3月暫定協定)が、実質的な独立を求めるヴィエトナムと連邦内自治国に限定しようとするフランスはハノイでの武力衝突(12月)から全面戦争に突入し、ホー政権は地方に撤収した。
1949年フランスは、グエン王朝最後のバオダイ帝を元首とする「ヴィエトナム国」を樹立した。一方ヴィエトミン軍は、中共の援助のもと北部各地で次第に攻勢に転じフランスは徐々に形勢不利となり1954年5月ラオス国境に近いディエンピエン・フーの陥落で決定的な敗北を被った。同年7月インドシナ戦争終結のためのジュネーブ国際会議が開かれ、ヴィエトナム、ラオス、ガンボディアについて各休戦協定締結と参加国の単独宣言、会議最終宣言等が行われた(これら文書を総称して「54

 

 

 

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