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創造の大きな前進につながるということだとすれば、その辺は職員の裁量というか、考え次第だろうと思うが、私は吊らせる。と言うのは、250kgというバトンでも、それプラス安全度があるはずだ。250kgが限界だけれども、その安全度を考えて事故が起きないことを願いながら、私はやらせてしまうだろう。今斉田さんがたまたま「安全管理は考えてません。」と言うのは、そういう意味だろうと思う。
いずれ舞台というのは決して安全な場所ではないし、私も絞り緞帳の砂袋を落としたことがある。これは本番の時、緞帳を上げたら砂袋がドスーンと落ちてきて、何で落ちたのかなとあとで考えたら、排煙口のふたがあいていて風が通ってきてそれで吊り物が引っ掛かってしまった。引きだとすぐわかるが、モーターというのはスイッチを切るまてどこまでも回ってしまうものだから、砂袋をちぎって舞台に落としてしまった。幕開きにいきなり砂袋をドスーンだから、1度幕を下ろして仕切り直しをして、本ベルからスタートして幕を開けた。そしたら、最初は下手に落ちたがその次に上げた時は上手が落ちた。しようがないので緞帳を開けっ放しにして、明かりでオープニングのきっかけを作りながら演奏会をやった。やったのはタンゴだった。バンドの人達は誰も指揮者を見ないで、全員すのこの方を見て演奏していた。いずれにしても注意をしてもしきれないのが安全管理であろうと思う。特に舞台を作る人達を含めてお客様に事故のないようにふだんから目くばせする必要はあるだろうな、ということは痛いほど感じている。
○斉田 思いがけない所で起きてきて、それから安全対策が追いかけてくるというのが現状だ。随分昔の話なので皆さんもよく御存じだと思うが、今電動機のまわりは大体金綱で囲ってあるが、昔は全然囲ってなかった。ある時、電動昇降のウェイトの下で若い人が休んでいた。緞帳の操作盤からその位置が見えないので、おもりが下りて来ても休んでいたので、背中がグシャグシャになってしまった。それから一斉に囲いが始まった。でも考えてみたら、そこへ座って休んではいけないのだ。
囲われて以後、そういう事故はなくなった。砂袋の件もそうだが、考えても考えつくものじゃないんじゃないか。小さい安全管理というのは工夫して、例えば鉄管の切り落とし部分や吊り物バトンの両脇に頭をぶつけないようにゴムのキャップをしたり、あちこちに滑り止めをしたりというようなことは思いつくままにやればいいが、安全菅理という4文字が出てくると何もできなくなってしまう。大体何でもかんでも舞台でやろうと思うからいけない。場所を選んでやればいいのだ。人間というのは常識があるんだから、こんなことをしたら危ないんだというのはわかりきってて、それでもやるというならどうぞ、と言うしかない。
○間瀬 今斉田さんがおっしゃったように、どこでやるのかというのがまるっきり抜けているというのがある。私の先輩からよく言われたことは、舞台の照明というのは魔法じゃないんだということだった。仕込みをして明かり合わせをやってという1時間があるからはじめてできることであって、テレビみたいに電気をピッと入れるときれいな明かりがチカチカしている、そんなものじゃないんだよと利用者に理解させるのが大変なんだよな、と言っていた。テレビで育った若い方やコンサートしか見に行かない方は、コンサート前の準備というのがわからないみたいだ。そういうことをきちんと教えるべきであろう。それを利用者に「これはできません。」と言う。それでいいのかなと私は思う、現場はいつも創造との板挟みになっているだろうが、舞台は危ない所なんだよ、ということはいつも利用者の方に言ってあげたい。
○坂本 どこの会館でも操作盤については職員がやっている。安全管理と係わるが、私がこの業界に入った時に、ボタンが「上がる」「下がる」「止まる」と3つあって、それを押せば動くということはすぐわかった。

 

 

 

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