
シンポジウム「公立文化会館の運営について」
コーディネーター
横浜市旭区民文化センターサンハート館長 間瀬勝一
パネラー
神奈川県立青少年センター副技幹 斎田勝彦
横手市民会館館長補佐 坂本好逸
○間瀬 シンポジウムとは、本来は一緒に酒を飲みながらワイワイやろうという意味だそうだ。楽しくやりたい。まずは自己紹介を兼ねて自分の活動の内容をお話してほしい。
○斉田 30年といってもただ座っていたというのが多かった。坂本さんとは青少年センターで10年間一緒に働いた。あとで機会があればまた別の話をしてみたいと思う。
○坂本 斉田さんからお話があったとおり神奈川県立青少年センターで一緒に舞台をやっていた。横浜と横手は一字しか違わないが、舞台、文化活動あるいはいろいろな条件が違いすぎる。だんだん腹が立ってきて、同じ苦労するなら横手でしたいなあと思って横手に帰った。お陰で以来数年間、斉田さんには自分勝手さを責められっ放しだった。やっと久々て同じ場所で同じ冷や汗をかく立場になって、共に最後まできちんとできるのか不安たが、3人揃って皆さんに見られるというのは今までなかったのではないか。皆さん方の貴重な時間を頂いているので、何か1つでもいいから参考になるようなことを言えればなあと思っている。
○間瀬 それでは話のきっかけとして、2人から実際の経験談とか失敗談を含めてお話を頂きながら、皆様方からの質問を頂ければと思う。
まず最初にお話を聞きたいと思うのは、舞台のスタッフと利用者との打ち合わせについてどのようにやっていたか、またはやっているか。
○斉田 30年もやっていると大体顔見知りとなってしまって、そんなに最近では苦労もない。青少年センターが始まったのは、昭和37年で隣に県立音楽堂という有名な施設があり、そこは東洋一と言われる音響効果のいい劇場だった。そこの隣にあるのだということを覚えてもらうところから始まるような感じだった。青少年センターといってもお客が来てくれなかった。最初にやった事業が、何をやっていいのかわからなかったので映画でもやってみようということで、ジュールベルグの「失われた世界」という恐竜が出てくる映画だった。それを1日3回やったが、1,000人入る小屋に合計で7人しか入らなかった。そういうところから始まっていたので、誰が来ても何しに来たのか全然わからなかった。 そのうちだんだん、あなたはどの位この仕事をやっているのか、何年位バレエをやっているのか、あなたの先生はどういう人なんだとか、横のつながりでは誰を知っているのかとか、そのような話をできるようになるのに10年位かかった。そのうち相手の方も(僕の顔を覚えてくれて、これならどうのこうのとか、逆にあの人はいますかと向こうから言われたりするようになった。今大体100%稼働していて、毎日倍率20倍位の抽選をしている。だから新しい団体が入ってくるというのはめったにないが、その時の経験を生かして、新しい人が来た場合、一体どの位その活動をしていて知り合いはどんな人がいますかとか、レジュメの中にも出ているが、搬入口の向こう側、お客さんの後ろにどういうものがあって、どういうつもりで来たのか探りながら打ち合わせをしていくと少し整理できる。結構無理難題を言ってきて、腹の中ではこうやった方が早いんだと思っても、間瀬さんが言うようにちゃんと言うことを聞いてあげなきゃいけない。これからはそうしようと思っているけれども、
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