のもとでは深夜の往診の精神的、肉体的負担は相当に大きい。また、一般に往診は出張診療所への出張や週半日の養護老人ホームヘの巡回と同様、本診療所をその間空けなければならないという問題が生じる。以上のような状況のもとで、玉之浦町診療所は不十分ながらその地理的、時間的、経済的、精神的近接性を保持している。
2.包括性 Comrehensiveness
包括性は本来医療が備えるべき最も基本的理念である。問題解決にあたって非選択的に対処すること、つまり年齢、性を問わず全科的医療を行い、身体的問題に限定せず心理的、社会的問題に対するアプローチをすることまで要請される。これには予防医学、リハビリテーションの分野も含まれる。へき地医療はややもすると老人医療を連想させるが、新生児から老人に至るまでの幅広い年齢層をマネージし、いかなる疾患の患者も拒まずに診ることが要求される。言うまでもなくすべての診療に際し最も重要なことは、内科医が内科疾患を診る場合も含め、自分(達)が対応できるかそうでないかの診療範囲を的確に判断できることである。ただ、いかなる場合であってもプライマリケアの範囲は扱わなければならない。へき地医療では、とりわけ住民の「総合診療」医としての期待が大きく、へき地医療であるからこそ二次レベルであってもある程度の範囲までは診なければならないといえる。ひとり医師としての問題、医療設備、看護能力等の問題もあるが、中核病院へ“何でも送る”のではとうてい町民との信頼関係を形成することはできない。
マルチプロブレムの患者は「総合診療」が扱う最も得意なそして適切な範曙の一つであるが、高齢者の多いへき地診療所では“common diseases”といえる。玉之浦町診療所をはじめへき地診療所では診療科目としておおむね内科、外科、小児科という標傍をしているが、町民の要求はまさに包括性をもった医療である。現在のところ、一般的には「総合診療」の理念が流布されていないが、これには標傍科名の問題もあるかも知れない。地域医療の第一線に立つ医院、診療所としては、内科系、外科系疾患のプライマリケアを扱うことが「総合診療」の最低限であるが、へき地診療所はそのモデルケースであると言える。
3.統合性 Coordination
病診連携、診診連携と言う言葉がよく使われること自体、日本の医療には統合性に問題があったと言える。統合性は通常組織と組織つまり他の診療所や病院、他の医療職、社会医療資源(行政など)とのかかわりの問題である。しかし、ひとり医師のもとではその医師個人の協調性もひとつの統合性の問題となる。例えば、当該医師が患者の病状に対する疑問を他の医師、医療機関にコンサルテーションする態度をもっているかということである。経験を積めば積むほど医師は自分の判断のみに頼ってしまう傾向があるが、大切なことは他の意見に耳を傾ける姿勢である。そのうえで、自分の考えを含む複数の意見の中から最適と思われるものを選択する能力を持つことが要請される。コンサルテーションに関しては、自分の診療レベルを謙虚に評価できる能力を持つと共に、現在の医療レベルや他の医療職の持っている知識、技能についても知識を持っていなければならない。
これも「総合診療」医に要求される能力のひとつである。ハード面、たとえば検査を例にとれば、施設に必要な医療機器を持たない場合、また所持しても医師(達)が十分に使いこなすことができない場合には、中核病院や専門医へ紹介する(consultation)ことになる。当診療所でも、医療機器の不備は中核病院の協力を得て患者があらためて外来診察を受けずともCTや注腸検査などを電話で予約させてもらうことで対応している。これによって、患者は決められた時間に検査を受けることができ、外来患者の非常に多い中核病院での待ち時間をなくすことができる。これはまた、中核病院の負担を軽減することにもなる。
包括的な全人的医療を遂行するためには他の医療職との連携、また社会医療資源の有効な活用が不可欠である。保健や福祉との連携が唱えられて久しいが、玉之浦町でも玉之浦町高齢者調整チームが組織され、役場福祉課、保健婦、ヘルパー、社会福祉協議会との定期的会合が持たれ、これにより高齢者にとどまらずハンディキャッブを持つ多くの人達への統合的援助が有機的、効率的に実施されている。しかし、本町のような小さい単位でなく人口の多い地域では、この種の統合性への試みはかなりの努力が必要であり、とりわけ「総合診療」医が中心になって積極的に活動すべきものと思われる。