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死の方向を確認する。家の周囲に親戚はいるものの、基本的には妻が一人で介護にあたっていた。経過中何回か、町内や隣町の特別養護老人ホームにショートステイを勧めたが、本人が嫌がったこともあり、わずか2回の利用にとどまった。ヘルパー訪問が週一回、入浴車によるサービスが週一回(夏場は週2回)行われた。また、3月の退院後は、週一回当院からの訪問看護も実施した。平成8年5月に、誤嚥による肺炎を起こし、妻に入院を勧めたが、このまま家で看たいとのことで、長男とも最終的な意志確認をする。末梢からの点滴と、抗生物質の静脈注射にて一事軽快。この間、自宅に吸引器を設置して、妻に使い方を指導。気管切開は、家族と相談の上、状態が落ち着いたこともあり見合わせた。6月に入って再び状態が悪化し、発熱と喀疲が多くなり、意識レベルも2桁の状態が続くようになる。10日、日中診察時には意識も清明で、妻の若い頃の写真を見て笑うほどであったが、その日の深夜に静かに息を引き取った。

(問題点)

A.医療

1.積極的に中心静脈栄養を行うべきであったか。また経管栄養や胃痩造設等を考慮して短期入院を考えるべきであったか。
2.気管切開等の積極的な救命法をすべきであったか。
3.吸引器は使用したものの、酸素療法等もすべきであったか。
4.状態が悪化してから、午前、午後、夕方の三回の往診とし、状態によっては夜9時頃に往診を追加し、あとは家族からの連絡に応じて対応することとしたが、充分であったか。

B.介護

1.69歳の妻は、自らの療養(高血圧)もしながらの介護で、5年にわたる一人きりの全介助生活は、相当に負担であった。
2.週一回のヘルパー訪問、訪問看護、入浴サービス、往診で、週の半分以上は医療福祉のサポートがあった。しかし、日常的にはほとんど妻が介助にあたり、実質的な負担軽減には到らなかった。
3.経過中、仙骨部と腸骨部に褥創を生じたが、訪問看護と妻への処置の指導で軽症のうちに回復した。

C.福祉

1.入浴サービスは、最低週2回以上は必要であった。
2.介助にあたる妻は、ほとんど家に常駐しなければならない状態であったため、ヘルパーの訪問も週2回は必要であった。
3.ショートステイを何度も勧めたが、患者が嫌がったため2回の利用にとどまった。しかし、妻にとっては大変な息抜きになり、もっと利用させたかった。

症例4:89歳、女性
高血圧、変形性脊椎症、両膝関節症にて加療中、膝関節症の増悪から徐々に歩行困難となり、昭和62年より定期往診となる。平成4年春頃からいざり歩行となり、トイレや風呂場にも這って行くようになった。膝関節は屈曲拘縮となり、股関節の屈曲拘縮も加わってきた。近日中に寝たきりになると予想され、息子と嫁に入院リハを勧めたが、患者自身が望まなかったこともあって、そのまま在宅での加療となる。日中は体を折ったまま座っていることが多くなり、平成4年8月には、仙骨部と腸骨部に褥創を生じた。褥創は連日の訪問処置にても難治で、一方の腸骨部が良くなると反対側にできるといった具合であった。この間に、全身衰弱とADLの低下をきたし、平成5年4月に寝たきり状態となる。褥創からと思われる発熱を繰り返し、同月末、敗血症ショックとなり死亡す。

(問題点)

A.医療

1.医療屈曲拘縮が始まった時点で、早めに入院リハビリを強く勧めるべきであった。
2.褥創の生じた時点でも、褥創の処置だけではなく、屈曲拘縮のリハも考えて入院加療の方が良かった(本人が同意せず)。
3.嫁に対して、ROM-Eの教育をきちんとすべきであった。(褥創の処置はしていただいた)

B.介護

1.60代の嫁がほぼ一人で介護にあたったが、寝たきりになるまでは患者一人でトイレや風呂までいざり歩行をしていた。
2.褥創処置のため、看護婦がほぼ毎日訪問をしていたが、ADLの維持のためには日中は端座位を

 

 

 

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