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週一回の訪問をし、夕食の宅配サービス(土日、祝日を除く)を受けていた。囲碁好きで、テレビの囲碁番組を見たり、囲碁の新聞に目を通すのが日課であった。
11月に入ってから、全身の浮腫、低蛋白貧血等が出現し、わずかな動作でも息切れ等の症状が出現。利尿剤や強心剤等の対症療法にて小康状態を繰り返していたが、12月7日早朝に娘が訪問したところ布団上で死亡。

(問題点)

A.医療

1.在宅酸素療法の適応につき、入院精査検討の余地があった。
2.低蛋白、貧血に対しても積極的な対処をすべきであったかどうか。
3.小康状態であったため、急変の可能性をはっきりと娘に対して告げていなかった。
4.当時は訪問看護を行っていなかったが、週一回程度の訪問看護が必要であった。

B.介護

1.近くに住む娘が一人で、日中に1〜2回顔を出す程度であった。
2.状態の悪化した11月以降は、日中3回程度、できれば夜間にも一回は状況観察が必要であった。
3.急変時の連絡方法等が、確立されていなかった。

C.福祉

1.日中は一人きりの生活で、デイサービスの利用を勧めたが、本人の了解が得られなかった。
2.ヘルプサービスは週2回は必要であった。
3.囲碁の大変好きな人であったので、囲碁のできるボランティアを確保できれば、日常生活に刺激があったと思われる。

症例2:91歳、男性
平成2年6月より、慢性気管支炎の増悪を繰り返し、歩行時の動悸息切れ、呼吸困難が強くなり定期往診となる。合併症として、前立腺肥大、腹部大動脈瘤を認めていた。屋内生活は自立しており、介護は80歳の妻(高血圧で加療中)一人だけであった。平成4年12月に尿閉となり、町内の開業医に入院後翌年3月に退院し再び往診となる。この頃より妻から、最期は自宅で看とりたいとの希望を伝えられた。福祉サービ又は利用されておらず、デイサービスを勧めたが、本入がその気にならなかった。その後もしばしば感染を繰り返したが、抗生剤の使用にて小康状態が続いていた。平成5年8月下旬より、腹痛、嘔気が3日ほど続き臥床状態となる。5日目の夕方よりタール便を少量認め、上部消化管からの出血が疑われた。翌日の検査データ次第で入院加療をするということで、本人も妻も納得したが、その日の深夜から急激に昏睡状態となり、早朝に死亡す。

(問題点)

A.医療

1.消化管出血と判断した時点で、直ちに入院処置とすべきであった。(患者と妻を納得させるため一晩おいたのが致命的)
2.時々腹部症状を訴えることがあったが、胃カメラ検査は患者も消極的であったため、対症的に経過をみていた。
3.結果論であるが、腹部大動脈瘤も含め、短期間の精査入院を勧めるべきであった。

B.介護

1.80歳の妻が、自らの療養(高血圧)もしながらの介護で、相当な負担であった。
2.状態は最期の数日を除けば安定していたものの、できれば訪問看護やヘルパーの派遣等で、妻のサポートが必要であった。

C.福祉

1.夫婦そろってデイサービスを勧めたが、共に希望されずに利用されなかった。
2.妻は患者につきっきりだったので、週1回のヘルプサービスも必要であった。

症例3:70歳、男性
平成3年6月より、脳動静脈奇形の術後、左側完麻淳、劣位半球症候群によりベッド上生活、ADL全介助の状態で定期往診となる。気管支拡張症の合併があり、しばしば肺炎を起こしては隣町の民間病院(100床規模)に入退院を繰り返す。平成7年8月に脱水状態から肺炎となり、入院後MRSAと診断。平成8年3月に退院し、再び往診した際には、全身の衰弱に、見当識障害や記名力障害等の痴呆症状も出現。嚥下困難も強くなり、しばしば誤嚥を繰り返すようになる。このため、4月頃から妻(69歳)に対し、いつまた肺炎となるかもしれないこと、誤嚥による窒息死という急変もありうる旨を説明。妻は、今後悪くなっても家で君とりたいとのことで、在宅

 

 

 

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