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ぎました。
私は学生時代に日野原先生にプライマリ・ケアの重要性を教えていただいて以来、患者を全人的に診られる医師を目指してきました。卒業と同時に新設の佐賀医科大学の総合診療部で研修を始め、大学病院の総合外来を中心に働き、後輩や学生の教育にも当たる年代になりましたが、受け持ちの外来患者が増えてくると病院を見逃さないことで精一杯で、ゆっくりと患者さんの指導などできなくなっている自分に気づくようになりました。ちょうどその頃、この三瀬村診療所の医師が病気のため、約半年間週1回代診に来ることになり、引き続き後任をお願いしたいとの話がありました。これまで自分が学び教えてきたことが、地域で本当に役立つのかを知りたくて、家族と一緒に診療所横の住宅に移り住んできました。

プライマリ・ケアの実践へ

赴任した当初3ヵ月程は、救急患者の対応に追われました。池に落ちて仮死状態で運ばれてきた2歳の子供は、瞳孔散大で呼吸もしておらず、すぐマウスツーマウス呼吸を始めました。なかなか自発呼吸は出ず、急カーブの多い山道で自分自身が車酔いしながらも、大学病院までの30分間救急隊の方と蘇生を続けました。幸いなことに大学につく寸前に自発呼吸が始まり、この子は何の障害も残さず3週間後に歩いて帰ってきました。心筋梗塞や、十二指腸潰瘍の穿孔による腹膜炎の患者も早期に診断して転送でき、それぞれ元気に生活しておられます。これらの診断には、最 近診療所に備え付けられた簡易血液生化学検査装置の威力も大きかったのですが、プライマリ・ケアにおいては何よりも医師自身の臨床能力(Clinical Competence)が試されることを痛感しました。このような救急患者への対応を通して、村人の診療所に対する信頼感は増したようで、患者も増え、電気的除細動器、パルスオキシメーターなどの必要な救急機器を備えることができました。

医術が人ととけあって,

診療は、かぜの流行時には1日70人の患者を診たこともありますが、普段は午前30人、午後は5〜6人の患者を診て、2〜3件の往診に行ったり、予防接種や学校検診、老人会の健康講話などの予防医学的なことを行うという毎日ですから、患者さんと十分に話す時間があります。多くは高血圧や腰痛症の老人ですが、彼らが大学の患者さんたちと大きく違うのは、多くの方が現役で働いていることです。「稲刈りでがんばらんといかんけん注射してくれんね」と言われて最初のうちは「そんな無理せんて休まんね」と言っていたのですが、仕事をしているからこそ彼らは生き生きしているのです。私の考えも病気を治すというより、少々病気があっても、働こうとする彼らの手伝いをすればいいんだというように変わってきました。かぜの注射も最初は意味ないよとやらなかったのですが、注射信仰は根強く、「注射してほしい〜」と聞いて「お願いします」と言われたらビタミンCを注射して、「でもうがいと手洗いは必ず続けてよ」とこっちの言い分も聞いてもらうようにして

 

 

 

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