
お年寄りを運ぶ大型車も必要だ。菅井先生は昨今、「車を買って寄贈しようか」とまで言い出すのである。
これは大上段からの行政へのアンチテーゼではなく、せめて椛島に一つでも福祉介護施設の芽を一と芯から思っての言動なのだ。その芽もどうやら市役所を中心に動き始め結実に向かっているのは幸いだ。
島民は、それがお別れの置き土産になるのでは、とひそかに心配する。
椛島に赴任して3年になる。というのも、先生はかねがね3年たったら辞めたい意向をもらしているからだ。島民はそれを恐れているのだ。行政とて医師確保は最大の悩みだが、切実なのは島民だ。
「医者は大切にせんば」がこの島の合い言葉。「この島には診療所があるし、基地はできているんです。後任も候補はいますよ」と先生が言うと、地元のリーダーたちは「先生は金の問題やなかとけんね。人間の気持ちの問題です」「先生、おってもらわないかんと」「あんたが去っていきよったら困ると」と口々に言ってくる。「医者は余っていますから、皆さんがこの医者ならいい、という人を選んでください」と答える。でも最後は「余っているいうても、人間性、人間性が問題なんです」と島民が返してくる。
この会話は郷長(町長役)、漁業組合長、学校長、郵便局員、菅井先生の間で本取材のため実際に交わされた。
次は、鹿児島県吐喝刺列島と、またさらに南下しようという菅井先生。「診療所も医者もいない地域はまだまだあるんです」。その意向を奥さんに伝えたら「多分、行くでしょうね」とさらり。そのときにもきっと「いってらっしゃい」と明るく送り出すにちがいない。「親父が往診途中で死んだように、オレもそうやって死ぬんじゃないか」と、最近、歯が悪くなったと口を気にしながら大笑いした。
書き手 大平 洋 (延岡市立島浦診療所〒882宮崎県延岡市島浦町745-2)
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