
もっと機能してほしい。その願いから、菅井先生は200万円くらいする高級カラオケセットを寄贈した。 しかし本人はいわないが、この200万円は息子の大学卒業祝いに車を買ってあげる約東のお金だったという。奥さんのいう「家族も皆の中一人」という言葉を思い起こさせる話である。 本人はケロッとして、その前にも30万円ほどのカラオケセットを別の集落に寄贈したという。もっとも前任地の魚島村でも福祉施設建設に尽力した人だから、カラオケセットの話では「それなりに限界はあるが、身銭を切る人だから、別に驚きもしなかった」と奥さんは笑い飛ばす。言外に私(妻)も稼いでいるから、と思っているんじゃないかしら、とでもいいたげに。この笑いがまた、夫噌婦随でもあるのだ。 今、政府で病院船構想が持ち上がっている。この企画構想メンバーに東大時代の仲間がいるそうだが、外国を見てきて、いうことで、意見を求められているという。この実現もまた、椛島の福祉介護施設と同様、待たれるのだ。
息子も父親の心がわかってきた
父が日本を不在にしていた頃。まだ学校に通っていた幼い息子は父親不在に心は揺れていたという。男の子にとって父親の存在は大きい。が、成長するにつれ、父親の言動が理解できるようになり、やがて歯科医師の道へ進もうとする。医学生の頃、身体障害者施設に診療に行ったところ、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と大変なつかれた。「この子たちのためにも医者になりたい」と、一念発起、国家試験目指し猛烈に頑張ったという。椛島にも来た。父の考え方、行動に間近に接し、将来は身体障害者の人の役に立ちたい、と言っているといつ。 その息子さんは現在33歳、「この父にしてこの息子あり」と母は、ひそかに微笑んでいる。ちなみに長女は都内で眼科医をしている。母に倣い、母・妻・仕事の三役をこなす毎日だ。次女も医療関係に従事していたが、今は主婦業一本。 まさに後顧の憂いのない菅井先生。
椛島で、保健・福祉の充実を図りたい
しかし、椛島ではやり残したことがまだまだあるのだ。端的にいえば保健・医療・福祉の三本柱のうち、医療はともかく、魚島村でやったように保健、福祉面の充実を図りたいのである。デイサービ又、ショートサービスでも、とにかく人や場所確保、そのためには予算が先決。全島急峻な道程に歩行は難しく、
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