怒濤のボランティア
地球は狭い−アフリカ、南米、南極、そして今、離島での医療行為は「人のため」
宮崎県・延岡市立島浦診療所 菅井健二 (元長崎県福江市・伊福貴診療所長)
(フィランスロピーワールド:1996.10Vol.6 発行 NTT総務部社会貢献推進室より転載)
長崎県は全国で最も島の多い県だが、その中の一つ、椛島に菅井健二医師は愛媛県の離島に次ぐ二度目の赴任中。
さらに、三度目も「医者のいない離島を目指す」という。
それまで30年間、東南アジア、アフリカ、南米、南極など世界を股に活躍した医者が帰国して、あえて離島の医者を目指したのは何か。
71歳にして生涯学習を実践する、その衰えないエネルギーの源泉をたどると、そこには旺盛な好奇心と限りない人間愛が見えてくる。
日本には島(有人・無人)がどのくらいの数があるかというと、約4,000近いという。最も数の多い県はどこか。北東へ長く斜走する五島列島の島喚を持つ長崎県なのだ。
列島中の最大の島が長崎市から100kmほどにある福江島。その中心都市、福江市から連絡船で北東へ島の間を縫うように20分ほど海を渡ると、緑濃い椛島が見えてくる。
椛島は面積9キロ平方mほどで、お椀をかぶせたような急峻な二つの山で北部と南部に別れ、山と山の間の大きくくびれた地帯は地峡と呼ばれる。古くは平家の落人が住み、隠れキリスタンの風習は今も残り、かつてイワシ漁の盛んな時代には人口3,000人を数えた、と島の長老はいう。
現在、小・中学校生30人を含む人口350人ほどが山の麓、海岸沿いに住む。定期連絡船が入る南側の港一帯を伊福貴といい、同島で最も大きい集落を成す。地元の人は“いふ”と縮めていう。
漁業は今でも島の中心産業だが、沿海漁の不振、後継者不足などから、漁師の平均年齢は60歳をゆうに超えている。高齢者は人口の約40%に達しようとしていて、そのほとんどが年金生活を余儀なくされる。中学校を卒業すると若者は進学、就職のため海を越えて長崎市や九州他県、関西方面へと散っていく。
このような光景は何も椛島に限ったことではない。日本の離島や辺地を含めた過疎現象は高度成長の歪みとして大きな社会問題だ。が、もう一つの側面、離島・辺地医療体制も、また積年の歪みといっていい。
離島・辺地での医療活動は都市部よりも、人間関係が密である。住民の信頼を得るまで時間がかかる。だからこそ、いったん信頼すると、自分たちの<<先生>>として絶大なる信