
病診連携が容易になり、在宅医療がかなりの分野で可能となった。
受ける住民とその背景
医療を受ける人々の認識や行動は、都市部のそれと予想していた程の差はない。老人相手であると、“年だから”というあきらめの言葉または人生に達観した言葉が出てくる。確かに、医師にとってある面では、救いの言葉とさえなってしまう傾向もある。しかし、いつの間にか通ってこなくなってしまい、近隣の医療機関に通っていたり、再び舞い戻ったりしている。都市部に出ている一害、子や娘の意見、近所の人々から、診療所などに通わず、総合病院に行くことを勧められたりするのである。たかが診療所ということで、周囲からの雑音に惑わされ、多重受診や遠くまでバスやタクシーに乗ってお金と時間をかけている患者が何と多いことかとびっくりする。多重受診している場合、薬が重複していたり、相反する治療などがされたりして、本当に患者さんと包みかくさず、話せる関係で診療がされなければ危険であり、医療費の膨大な無駄遣いである。 今、内服している薬を全て持参させるようにして診療をしている。それらを解決する一方法として、専門外来を開設したり、紹介状を納得させて持参させ、専門医を受診させまたは連れて行き、複数の目で医療ができるよう創意工夫が必要である。また、その上看護や介護能力においても、独居老人や老人所帯だけの増加が著しく、二世代三世代同居といっても、目刺まほとんど独居状態であり、看護も介護も極めて貧弱化してきている事を認識しなければならない。 医療体制、各看護、介護体制を築いていくことが求められている。三者別々は論外の時代となっている。これらが統合されていくことは、一人の人に対し、複数の目すなわち、いろいろの職種の人々の認識と考え方によって医療福祉サービスが与えられたり,受けとることができることであり、医療だけでのインフォームド・コンセントばかりでなく、医療福祉サービスの受益者が、サービスを選びとる時代となってきているのである。してもらう、与えてもらうのではなく、自分から選んでいく時代であり、それには相応の義務と責任も伴ってくるのは当たりまえである。これは都市も田舎もない。僻地医療とは特異なことをすることではなく、一人一人の人間に対し、今何がされることができるか、本人もまじえて皆で行なっていくことが求められている。一人の人がするのではない。一人の医師は、一アドバイザーにすぎないのである。
(国保衣川診療所〒029-43岩手県胆沢郡衣川村大字上衣川字古戸48-3)
前ページ 目次へ 次ページ
|

|