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4 へき地医療実践の記録

大学病院から田舎の小病院へ

−5年間の僻地医療実践をふりかえって−

北海道・大樹町立国民健康保険病院長

満岡孝雄



私は北大医学部を卒業後、出身地長崎に帰り、長崎大学の内科に入局しました。18年間、おもに大学病院で循環器専門医として診療に従事してきましたが、91年の夏に大樹町立国保病院(86床)に院長として赴任しました。
現在、町の人口は約7,200人で高齢人口は19%を超えています。過疎化が進み、出生率も低下している状況です。この地域の中核都市は帯広で車で、一時間の距離です。帯広までの間には病院はありません。

診療体制の改革

赴任する前年、病院は単年度で3億円の赤字をだし、存続を間われるような危機的状況にありました。それまで病院は内科、外科、産婦人科、小児科の4斜体制で、各科に一人の医師がいました。再建のためにまず不採算部門の産婦人科と小児科を廃止し、内科を充実することで慢性疾患をきちんとみれる体制をつくりたいと考えました。
内科の90%が循環器と消化器疾患です。また、高齢者の骨関節疾患、交通事故その他の外傷が多いため、これに対応する必要もありました。そこで、循環器、消化器をそれぞれ専門にする内科医2名と整形外科医1名で再建のスタートをきりました。内科は患者数が順調に伸びましたが、整形外科は思ったようにのびず、2年ほどで常勤医をおくことをやめ、そのかわりに週2日大学から出張医にきてもらうようにしました。
93年4月より、人間ドックを開始して消化器系の検査数が多くなってきましたので、消化器外科医を常勤としました。95年4月には理学療法士を採用し、リハビリ室も拡張充実しました。
96年の春には眼科を開設しました。たまたま町に移住された方の奥さんが眼科の先生で、週3日くらいなら診療してもよいということではじめました。
常勤医の雇用はすべて全国公募でやっています。医師過剰時代の影響でしょうか、私たちのような田舎の小さな病院にもいい医師が応募してくるようになってきています。

スタッフの意識の改革

赴任した頃、病院内の雰囲気はかなり疲弊していました。「ひょっとしたら、病院は潰れるのではないか」という危機感を多くの職貝が持っていたようです。
私は、良いと評価されている病院で行われていることをこの病院にも導入しようと考えました。院内の掃除の仕方から患者さんに対

 

 

 

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