こうしたフィリアの関係は、いわば“ギブ・アンド・テイク”です。これを打算的と見るのは、まったくの誤解です。“「ギブ」・アンド・テイク”です。「まず、こちら側から差し上げる・そしてその成り行きとして・相手からも頂く」ということであって、けっして「テイク・アンド・ギブ(まずは頂いて、お返しになにか差し上げる)」というのではありません。
“愛してくれたから、愛する”のこそ打算的で、それはフィリアの精神ではありません。こちらからの、積極的な愛の働きかけがまずある(ギブ)のです。それが出発点です。そして、それほどに親しい相手であれば、こちらの愛に応えて何らかの応答があるのは(テイク)、しごく当然のことです。
つまり、フィリアの愛で結ばれた関係は、きわめて人間的で、徳の高い生きかたといえます。
アガペーとは
もう一つの愛は、アガペーと呼ばれる愛です。古代ギリシアでは、けじめのない愛と考えられていた「アガペー」ですが、新約聖書で、神の限りない愛を表すのに用いられて以来、俄然、脚光を浴びるようになった言葉です。
エロースが、相手側からの応答を切に求め、相手と一つになりたいと願うのに対し、アガペーは、見返りを求めない、相手からの応答や、感謝すら期待しない無償の愛です。
また、フィリアが、自分にとって価値のある、大切な相手への、いわば“限定条件付きの愛”であるのに対し、アガペーは、相手がだれであれ、無条件で関わり、仕える愛です。
相手のためを願って、無私のこころで、全人格的に関わる愛。
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