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あって外から見えるのに、お金がいるのか」と聞くわけです。「そんなことはない。近くに行って見たらいいし、中も入れるよ」といっても「それは違う。お金を取るからには塀と建物がなければいけない」とか、それぞれ違いがあるわけです。また、いろいろなデマゴーグに惑わされているところもあると思います。外国の方がお越しになるたびに実験をしているのですが、道頓堀にたこ焼き御膳というものがありまして、欧米人はタコが嫌いだというのでわざと実験をしてみたのです。そうしますと、ヨーロッパの人は9人のうち6人がベリーグッド、1人はグッド。アメリカの人は7人来て5人がベリーグッドで1人がグッド。オーストラリアは2人来て1人がグッドで1人がベリーグッドということで、それほど拒否反応がないのです。また、韓国の方に伊勢神宮とか大阪城を見せるのはよくないのではないかというわけですが、意外とそうでもない。伊勢神宮は韓国の旅行会社の方を4人連れていって、4人ともぜひ次のツアーに入れたいという感想でしたし、なかには京都の耳塚が見たいという方もおられました。
これは科学的には証明されていないことなのですが、日本はA型の国でして、A型がいちばん多いのは先進国では日本とドイツだけです。ですから、O型とかB型の感覚でものを考えていかないといいマーケティングはできないのではないか。私はO型ですけれども、歴史的なタブーを隠されたらひきょうだ、だから信用しないんだと思うタイプですから、あったことはあったことで仕方がないから、それも一つの歴史の遺構として見せていくということもしていかなければいけないのではないかと思います。
●阿部 ありがとうございました。非常に重要なご指摘を課題として出されました。続きまして、上原さんにお願いします。上原さんは今、日本でも有数のオペラハウスの建設を中心になってお進めになっていらっしゃいます。実は私も以前滋賀県に住んでいたのですが、上原さんが来られて滋賀県がガラッと変わりまして非常に文化的な地域になったわけです。大阪周辺から事業所が移転したこともありましたけれども、それまで湖を抱いた静かな農村風景というイメージだったものを、日本文化と新しい文化とを融合した里へつくりかえようとしている壮大な実験をなさっている方ではないかと私は思っております。さっそく上原さんからご発言お願いします。
●上原 私が滋賀にまいりましたのは、ちょうど20年ほど前です。この時期が、ちょうど大きく滋賀県が変わろうとしている時期だったということと、その部分に私の仕事があったということで、たまたま変化の時期に変化にかかわる仕事をしたというだけで、今の紹介は過大評価ですのでお断りしておきます。
今日は短時間のうちにいくつかお話しなければいけないと思っておりますが、まず自治体としての取組みといいますか、観光地としての滋賀県は今どうなのかというお話をしたいと思います。18年ほど前に、私が観光物産課長で初めて滋賀県にまいりましたときと今とあまり変わらないと思います。京都や奈良の近くにあって、大観光地の古い歴史をもつ二つの場所に隠されてしまって、観光地としての滋賀県というのはあまり大きく取りあげられないというところがあります。歴史街道のプロジェクトも最初のうちは滋賀県が抜けているという状況でもございました。あわてて陳情して入れていただいたという思い出がありますが、今は大変熱心に取り組んでいただいて感謝しております。
というのも、受け皿がなかったと思うのです。当初は、ホテル、百貨店(昭和51年に初めて県庁所在地大津に開店)など、交流拠点がないところと思っておりました。数えてみましたら、1970年代以降に滋賀県のなかにホテルが20ほどできました。それから、交流拠点の大切な場所である大学研究機関、博物館、美術館等々も1970年代以降にできてきました。ようやく受け皿ができて、これからそこが有効に生かされる県ではないかと思っております。そういう県は日本でも他にたくさんあると思っておりまして、けっこう普遍的かなという気もいたしております。次に国際交流の歴史なのですが、最初に白幡先生のお話をうかがっておりまして、まさに国がやってきたあとをたどったのが地方自治体ではなかったかという気がしております。1934年に琵琶湖ホテルができているのですが、これはどの県でも公的なお金が入って、今でいう第三セクターでしょうか、ホテルを建てています。外国からの賓客をお泊めするのに恥ずかしくないホテルをつくろうということで、奈良であれば奈良ホテル、京都だと都ホテル、滋賀だと琵琶湖ホテルという具合

 

 

 

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