
合っている人間、そこで仕事をすることが生きがいたという人もいるはずなんです。それはそれで構わないですけれども、もし向こうに行って、合わないなと思ったときにUターンをして帰って来れる場所を自分で見つけておくことができるということと、この都会が合わなかったときに、じゃあ本来自分はどういう環境で暮らすのが一番自分の理想的な環境なのだろうかということを、自分の体の中にインプットする意味でも、田舎の風景といいますか、この自然の中で子供の頃暮らす必要があるんじゃないかなという気がしているんですね。これは引き出しを増やすということで、例えば目の前にきれいな薔薇の花があったときに、私達がこの薔薇の花を見たときにすごくこの花はきれいだなと思うのは、この花がきれいなんじゃなくて、自分達の心の引き出しの中に薔薇はきれいだと思う優しい気持ちがあるから、僕らは判断できるわけですよ。
ですから、花に興味がない人はここに幾らきれいな薔薇の花があってもただ植物が置いてあるぐらいにしか思わないわけですけれども。だから子供達の中に自然の風景、それから川があって、山があって、青い空があって、四季にわたって草花が咲き乱れて、季節の変わり目がどんなことかというのを、彼らの心の中の回路といいますか、引き出しといいますか、そこに焼き付けておいてあげたい。で、いずれ彼らが大人になったときに、それと照らし合わせて自分の住みやすい環境を判断できる物差しというかチャートを、子供に植えつけてやるということが何かこれからの環境づくりに必要がなという気がしてます。そのお手伝いで僕のイラストが使えるということであれば、これほど本望のことはございません。
〔脇坂先生〕
よろしくお願いします。
次にマルク・レール先生、ドイツ人がこのゴミの問題といいますか、ゴミを出さないということを意識ではなくて身につけているとおっしゃること、大変感銘いたしましたが、私もドイツの街を歩いてスーパーマーケットに行ってみますと、一切の物が包まれておりませんね。もうそのもの、品物そのものを売っておりまして、買う側でも持ち込んだ袋の中にそれをみな入れて持って帰るわけでございますが、このことが身についているということ、あるいはこれが次世代へ引き継がれるとおっしゃったことを、もうちょっとお話いただけませんかね。
〔マルク・レール先生〕
その前に、今日のコーディネーターっておもしろい方なんですよ。韓国とかドイツ、ゴミ見て歩いているんですよ。すごい。さっきも話聞いたら、ケルンとかデュッセルドルフに行ってゴミ見ましたと。普通はケルンには大変すばらしい教会があるとか言
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