
〔新庄先生〕
新庄でございます。
皆様の中で私が地元ということでございますけれども、岩国ってどんな街だろうかなっていうことを考えてみますと、西岩国へ行きますと歴史の街、それから麻里布の方へ出ますともう工業の街、それからまたちょっと南へ行きますと基地の街とかいう、いろいろな異なった顔を持っている街なんです。
それで、ここは関ヶ原の戦いで広家公が移封されまして、それでまちづくりをされた。それから二代の殿様は干拓事業、お父さんから引き継いだ干拓事業を続けられ、そして和紙の専売制をとられた。そして次のお殿様になると、あの天下の名橋錦帯橋をつくられて、今日の観光客をたくさん迎えられた。そういうものを親から子、子から孫へと、だんだん受け継がれまして現在に至っております。その一節を私達は頂戴して、岩国の歴史の勉強、素人勉強をしているものですけど、そしてその伝説を元にしまして郷土を深く見つめて、次の世代に私達が受け継いだときはまだ環境のきれいなところでした。今も西岩国はとてもきれいですけど、これを次の方に伝えたいなあっていうような気持ちを持っている者です。
それで、いろいろ先生方がお話なさったようなことは私にはできません。つい体験の一節でございますけど、そこに書いております「捨てればゴミ、活かせば一品料理」と。この間、市内の中学校に伝統料理、伝承される岩国寿司を教えに行こうという話を、校長先生にお話いたしましたら快くしてくださって、最初は1回のつもりでしたけど、「いや、6回全クラスにしてくれ」と言われることで、少しちょっと仕事が増えたかというようなことでしたけど、嬉しい中体験させてもらいました。
そうしますと、この頃の子供は、これが済んだら捨てる、これが済んだら捨てるということに慣れておりますから、私、厄介おばさんは、ちょっとそこへ行って、「これを何か活かしてみたらどう」。「だし昆布がありますね。それから鰹があります。だから、これを小さく切ってちょっとつくってみたら」と言うと、「何つくるの」って言うから、「ほら、おむすびの中におかかが入ったりしておるね。それから佃煮昆布やらどう」って言ったら、「ああ、そうすればいいのか」というような言葉が返ってきたんです。
ところが今度はそうしながらも、この頃はよく本を見て、大さじ何杯、小さじ何杯というのに慣れていますね。そうしますから、私はそこで考え出した。「あのね、自分がつくるときはどうするん」て言うて、「料理には国語と算数」を出したんです。「料理にはさしすせそというのがあるね。だから調味には、さとう、しお……」と言うてやりながら、今度は算数でいこうかなというのは、「料理には足し算はできても引算ができないよ。塩の大安売りいうてばっと入れたらどうにもなりません。後に戻すことはできない。それを少しづつ入れて自分なりのものを加えたらどう」っていう
前ページ 目次へ 次ページ
|

|